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手にやけどを負って医学に一生をささげた野口英世

今私たちが使っている千円札に描(えが)かれている人物を、ご存じでしょうか。

千円札に描かれて人物は「野口英世(のぐちひでよ)」という人物で、大きな功績を残し、人々に最も知られた人物なのです。




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お札には、いろいろな人物の肖像画(しょうぞうが)が描かれています。

そこに描かれている人物は、世の中に大きな功績を残し、多くの人々に知られている人たちの中から選ばれた人物なのです。

○野口英世は、どんな人なの?

野口英世(のぐちひでよ)(1876年-1928年)は、福島県出身で日本の細菌学者(さいきんがくしゃ)なのです。

野口英世_ja.wikipedia.org(写真:野口英世_ja.wikipedia.org)

現在の日本医科大学を修了後、ペンシルベニア大学医学部を経て、アメリカで最も有名なロックフェラー医学研究所で研究員となっていました。

彼が主に研究していたのは、細菌学(さいきんがく)の研究に従事(じゅうじ)し、黄熱病(おうねつびょう)や梅毒(ばいどく)等の研究をしていました。

学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)を取得している。

数々の論文を発表し、ノーベル生理学や医学賞の候補に何回か挙(あ)がったが、黄熱病の研究中に、自信が黄熱病にかかり51歳で亡くなっている。

○手にやけどをして医学界の道へ

野口英世は福島県生まれ。

父・野口佐代助と母・シカの長男として生まれ、子どもの頃の名を「清作(せいさく)」と言います。

ある日のこと、清作が1歳のときに、母親が畑仕事をしていると、家の中から激しい赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。

急いで母親がかけつけると、なんと清作が囲炉裏(いろり)に落ちて、ひどい火傷(やけど)を負(お)ってしまったのです。

清作の左手の5本の指が焼けて、こぶしを握(にぎ)るように、くっついてしまったのです。

この日から清作は、左手の指が使えないまま、生きていかなければならなくなったのです。

それから、清作は右手と5本の指がくっついた左手を使いながら勉強に励み、学校では一番の成績をとるほどになっていました。

そんな清作をみた小学校の先生が、「私が学費を出すから、もっと上の学校に進みなさい」と言ってくれたのです。

そして、他の先生や生徒にも声をかけて、指がくっついた左手の手術をする費用を工面(くめん)してくれたのです。

貧しくて病院にも行けなかった清作にとって涙が出るほど、ありがたい話しでした。

さっそく清作は、会津若松(あいづわかまつ)の病院で手術を受けることになったのです。

先生や生徒のおかげで、14年間くっついたままだった清作の指はもと通りになったなのです。

手の火傷手術直後の野口清作(15歳)_www.tosho-bunko.jp(写真:手の火傷手術直後の野口清作(15歳))

清作は、先生や生徒のみんなに感謝するとともに、医学という素晴らしさに感謝し、清作は医学への道に進むことを決意するのです。




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○英世は医学の研究に一生をつくすことに!

清作は手術を受けた病院に勤めながら勉強をしました。

その後、東京の伝染病研究所の助手となり、このとき21歳になった清作は、名前を今の「英世(ひでよ)」と改名(かいめい)している。

1900年にアメリカに渡り、大学の先生と一緒(いっしょ)に、毒蛇(どくへび)の研究を始めることになります。

英世は、医学で人のために寝る時間も惜しんで研究に打ち込む毎日だったと言います。

やがて、熱心に研究を続ける英世の力が認められ、世界で最も優れた医学研究所である「ロックフェラー医学研究所」に入ることになります。

ロックフェラー医学研究所の野口研究室のスタッフたち(写真:ロックフェラー医学研究所の野口研究室のスタッフたち)

当時大流行していた黄熱病(おうねつびょう)という伝染病の研究をしていた英世は、やがて自分もアフリカで黄熱病に感染してしまったのです。

そして英世は、51歳の若さで亡くなってしまうのです。

○野口英世の名言!

野口英世は、数々の名言を残しています。
その中で、いくつかご紹介します。

誰よりも3倍、4倍、5倍勉強する者、
それが天才だ。

私は少しも恐れるところがない。
私はこの世界に、何事かをなさんがために
生まれてきたのだ。

絶望のどん底にいると想像し、
泣き言をいって絶望しているのは、
自分の成功を妨げ、
そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。

忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。

家が貧しくても、体が不自由でも、
決して失望してはいけない。
人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。
周りの人間も、周りの状況も、
自分から作り出した影と知るべきである。

人は、四十になるまでに、
土台を作らねばならぬ。

過去を変えることはできないし、
変えようとも思わない。
なぜなら人生で変えることができるのは、
自分と未来だけだからだ。

この世界には、
人間の頭数と同様に、
仕事は沢山あるはずである。

モノマネから出発して、
独創にまでのびていくのが、
我々日本人のすぐれた性質であり、
たくましい能力でもあるのです。

ナポレオンは、
夜3時間しか眠らなかった。
彼になしえられる努力が、
自分になしえられぬはずがない。

人は能力だけでは、
この世に立つことはできない。
たとえ、立身しても、機械と同様だ。
人は能力と共に徳を持つことが必要である。

教えに来たのではありません。
習いに来たのです。

○まとめ

・千円札に描(えが)かれている人物は、野口英世である。

・野口英世は、大きな功績を残し、人々に最も知られた人物である。

・野口英世は、福島県出身で日本の細菌学者である。

・彼が主に研究していたのは、細菌学の研究に従事していた。

・野口英世幼名は清作(せいさく)である。分けあって英世に改名している。

・英世が1歳のとき、大やけど負い、左手の5本の指が焼けて、こぶしを握るように、くっついてしまった。

・先生や他の生徒の費用の工面で、手の手術をしてようやく左手が使えるようになった。

・そこから、医学界への道に進むことになった。

・世界で最も優れた医学研究所である「ロックフェラー医学研究所」に入ることになった。

・黄熱病という伝染病の研究をしていた英世は、やがて自分もアフリカで黄熱病に感染して亡くなっている。




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