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沢村賞で知られる「沢村栄治」の球速は時速160キロ超だった!?

投手でなんといっても魅力的なのは、剛速球を投げてバッターを三振にすることではないでしょうか。

今球界で投手と野手の「二刀流」に挑戦している日本ハムの「大谷翔平」は、オリックス戦で150キロ台の直球を連発している。




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日本球界での最速は、2008年に当時巨人に在籍していた「マーク・クルーン」が、162キロという速球を投げた記録がある。

日本プロ野球における特別賞の一つとして知られる、「沢村栄治賞」、通称「沢村賞」という賞があるが、沢村栄治とは、どんな人物だったのでしょうか。

最近の調べで、沢村栄治の速球は、「160キロ超」の剛速球を投げていたのではないかと言われている。

当時8ミリカメラもさほど普及していない時代だったので、映像探しが大変だったという。

沢村は「火の玉投手」とも言われ「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」と語り継がれた、球界を代表する名投手だった。

○沢村栄治は3度のノーヒット・ノーランを達成!

沢村栄治(さわむらえいじ)は、三重県出身のプロ野球選手で投手である。

(沢村栄治_出典:有名人トピック情報)

京都商業学校の投手として1933年の春と翌年の1934年春・夏の高校野球全国大会に出場し、1試合23奪三振を記録した。

プロ野球リーグが始まる前の1935年、第一次アメリカ遠征に参加したときには、21勝8敗1引き分けの実績を残している。

(アメリカ遠征中の沢村栄治_出典:livedoor Blog)

体の大きなバッターを相手に、スパン、スパンと三振をとるようすは、アメリカ選手も大いに驚き、沢村をほめたたえた。

当時アメリカの名バッターとして知られる、ベーブ・ルースも、見事に抑える沢村の活躍ぶりに関心して、「彼をメジャーに連れて帰りたい」という言葉を残している。

そして、プロ野球チームが開始された1936年の秋に、史上初のノーヒット・ノーランを達成している。

翌年には、プロ野球史上初となるMVPに選出され、さらにこの年、2度目のノーヒット・ノーランを記録する。

さらに翌々年には、3回目のノーヒット・ノーランを達成するという金字塔を打ち立てた。




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○沢村栄治は剛速球で三振をとった!

沢村が人気投手となった一番の要因は、何と言っても剛速球にある。

沢村の投げ方は独特で、左足を高くけり上げ、その反動を利用して右腕を大きくふり出すという、投法だった。

(沢村栄治 – 出典:Wikipedia)

球速は時速160キロを超えるとも言われ、今のプロ野球選手でも、そんなスピードの球を投げられる投手は、なかなかいない。

また、まじめな人柄でと、堂々とバッターに立ち向かう姿もファンに好感が持たれていた。

今までに、時速160キロを超える投手は、2008年巨人・クルーン選手の162キロ2010年にヤクルト・由規選手の161キロ2009年ヤクルト・林昌勇選手の160キロ2012年巨人・マシソン選手の160キロとなっている。

球速が160キロを超える投手は、なかなか現在でもいないということになる。

1979年にスピードガンで、球の球速を簡単に測ることができるようになったが、当時は球の球速を測るものはなかった。

さてどうやって沢村の球速を測ったのであろうか。

米国で沢村が投球前に軽く投げている映像を発見した。

ただ、打者に向かって全力投球している映像ではないため、現在のプロ野球の投手が軽く投げる際、全力投球の何%ぐらいで投げているか調べ、何十人もの選手を調査した結果、沢村選手が全力投球した速球は、160キロ超ということになったのである。

正確な測定ではないため、真実かどうか分からないが、ノーヒット・ノーランを3回も獲得しているので、バッターからしたら、それぐらいの球速があったのかも知れない。

○戦争が大投手を奪った命!

しかし、そんな沢村の活躍はわずか5年の選手生命であった。

戦争が激しくなるにつれ、日本の若者たちの多くが戦地にかり出されるようになり、沢村もその一人だった。

沢村は3回も戦争にかり出され、1回目に左手に大きなケガを負い、沢村に手榴弾(しゅりゅうだん)を、やまほど投げたため、大事な肩を痛めてしまった。

(戦争の足音)

それでも無事に帰国して野球選手として復帰したが、再び戦場に送られた。

そして3回目には、沢村を乗せた船が、戦場に向かう途中で、攻撃を受けてしまい、船は沈没し、沢村は帰らぬ人となってしまった。

沢村は当時27歳とう短い一生を終えたのである。

その後、数々の功績を讃え、巨人は沢村のつけていた背番号14を、永久欠番とした。

さらにプロ野球全体で、1年でもっとも活躍した投手におくる「沢村賞」をつくり、今では多くの投手の目標となっている。

○まとめ

・沢村賞で知られる「沢村栄治」とはどんな選手であったのか。

・沢村栄治の速球は、「160キロ超」の剛速球を投げていたのではないかと言われている。

・沢村は「火の玉投手」とも言われていた。

・沢村栄治は3度のノーヒット・ノーランを達成している。




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