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日本を代表する劇団四季で有名となったサウンドオブミュージック

日本を代表する劇団四季でも有名となった「サウンド・オブ・ミュージック」は、年輩(ねんぱい)の方には、なつかしいミュージカルである。

また1965年に『サウンド。オブ・ミュージック』として、映画にもなり、世界的な大ヒットとなった。




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世界各国で、ミュージカルにもなり、日本では劇団四季が上演している。

また「Do-Re-Mi」など名曲の数々を生みだしている。
日本では、1961年(昭和36年)に「ドレミのうた」として、ペギー葉山が歌っている。

このサウンド・オブ・ミュージックのストーリーであるが、実話が元になっていることはご存じだろうか。

サウンド・オブ・ミュージックの原作者である「マリア・フォン・トラップ(1905年-1987年)」が、第二次世界大戦後にマリアは家族の歴史を綴(つづ)り、本を書いたことが始まりとされている。

○マリア・フォン・トラップとは、どんな人?

サウンド・オブ・ミュージックの主人公のモデルとなった「マリア・フォン・トラップ」は、ヨーロッパのオーストリア生まれ。

マリア・フォン・トラップ_ja.wikipedia.org(写真:マリア・フォン・トラップ_ja.wikipedia.org)

元オーストリアの海軍将校であり、前妻との間に7人の子どもを持つゲオルク・フォン・トラップと結婚し、トラップ・ファミリーとして合唱団を結成し有名になる。

トラップ・ファミリー_blog.livedoor.jp(写真:トラップ・ファミリー_blog.livedoor.jp)

彼女の自叙伝に脚色され、映画やミュージカルとして世界中で大ヒットなった。

マリアはウィーンにある学校を卒業し、もともと音楽好きだった彼女は、青年たちのグループで、オーストリアの民謡(みんよう)などを習った。

彼女は最初キリスト教に反感を持っていたが、教会の音楽鑑賞(おんがくかんしょう)をするためだけに、カトリック教会のミサに参列していた。

その後、キリスト教に心を惹(ひ)かれ、ザルツブルクにある修道院に志願している。

しかし、修道院の暮らしに馴染(なじ)めず、体調を崩してしまう。

それから、マリアは家庭教師をすることになる。
その先がフォン・トラップ家であった。




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○マリアの生涯で知る「サウンド・オブ・ミュージック」

マリアが家庭教師となったフォントトラップ家には、7人の子どもがいて、もともと音楽好きだった子どもたちに、音楽を教えることになる。

サウンド・オブ・ミュージック_movies.yahoo.co.jp(写真:サウンド・オブ・ミュージック_movies.yahoo.co.jp)

それから、子どもの父親であるゲオルク・フォント・トラップ氏に心惹(ひ)かれ、結婚することになる。

当時は第二次世界大戦中であったので、オーストリアはドイツに侵略されていく。お金持ちであったトラップ家も財産(ざいさん)を失ってしまう。

しかし、マリアは生活費を稼ぐために、子どもたちと合唱団をつくり、あちこちで歌を歌ったり、自分たちの住む屋敷(やしき)の空き部屋を貸したりするなど、いろいろなアイデアで家計を支えた。

トラップ一家の合唱団は、マリアとゲオルクの間に授けられた3人の子どもも加わり、だんだん有名になっていった。

その頃、ザルツブルク音楽祭で優勝したのをきっかけに、ヨーロッパ各地でコンサートを開くようになった。

その後、ヨーロッパではドイツ・ナチスが勢力を強め、オーストリアもドイツの一部にされてしまう。

トラップ一家は、ドイツ軍に追われるように、スイスに亡命することを決意し、一家はスイスへ行くことになった。

しかし、ドイツ軍はスイスまできて一家を脅(おびや)かすことになる。それから一家はアメリカに渡ることになった。

マリアと子どもたちは、ヨーロッパ各地やアメリカでコンサート活動を続け、戦争に疲れた人たちや悲しい気持ちになった人々の心を癒(いや)し、希望を与えた。

戦争が終わって、マリアは家族の歴史を綴(つづ)った自叙伝を書いた。

彼女の自叙伝の本は多くの人に読まれ、世界各国でミュージカルが上映され、1965年の映画「サウンド・オブ・ミュージック」が、世界中で大ヒットとなった。

サウンド・オブ・ミュージック (映画)_ja.wikipedia.org(写真:サウンド・オブ・ミュージック (映画)_ja.wikipedia.org)

マリアは82歳で亡くなるまで、トラップ一家の体験を人々に語り続けた。

○まとめ

・劇団四季でも有名な「サウンド・オブ・ミュージック」は、世界中でミュージカルや映画となり有名である。

・また「Do-Re-Mi」など名曲の数々を生みだし、日本では、1961年(昭和36年)に「ドレミのうた」として有名。

・サウンド・オブ・ミュージックのストーリーであるが、実話が元になっている。

・原作者である「マリア・フォン・トラップ」が、マリアは家族の歴史を綴り、自叙伝を書いた。

・彼女の自叙伝に脚色され、映画やミュージカルとして世界中で大ヒットなった。

・マリアが家庭教師となったフォントトラップ家には、7人の子どもがいて、音楽を教えた。

・第二次世界大戦中に、オーストリアはドイツに侵略され、トラップ家も財産を失う。

・マリアは生活費を稼ぐため、子どもたちと合唱団をつくり、あちこちで歌を歌った。

・一家はザルツブルク音楽祭で優勝したのをきっかけに、ヨーロッパ各地でコンサートを開くようになった。

・マリアは82歳で亡くなるまで、トラップ一家の体験を人々に語り続けた。




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