ちょんまげの由来は?江戸時代どうして武士は「ちょんまげ」をしていたの?
ちょんまげは、江戸時代の男子の髪型(かみがた)として有名でした。
「ちょんまげ」は、今では日本の相撲(すもう)でしか、見ることができなくなっています。
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海外でも日本の「ちょんまげ」や「ハラ切り」は、とても有名です。
ちょんまげの「ちょん」は、前面(ぜんめん)に折り返した髪(かみ)が踊(おど)り字「ゝ(ちょん)」に似ていることから、「丁髷(ちょんまげ)」と言われている。
(イラスト:sozaikoujou.com)
ちょんまげは額髪(ぬかがみ)を広く剃(そ)り上げ、小さな髷(まげ)を結(ゆ)うものです。
明治初期に、「散切(ざんぎ)り頭(あたま)を叩(たた)いてみれば、文明開化(ぶんめい)の音がする」と言われるように、明治以降ちょんまげは消えていったのです。
○「ちょんまげ」をするには分けがあった!
テレビなどで時代劇(じだいげき)をみていると、男の人はみんな頭を額(ひたい)からてっぺんにかけて剃(そ)り上げ、ちょんまげをしています。
この剃(そ)り上げた頭(あたま)を「さかやき」と言います。
(イラスト:e-kangeki.net)
もともとは貴族(きぞく)が冠(かんむり)や烏帽子(えぼし)をかぶるとき、頭が蒸(む)れるので、額(ひたい)ぎわの髪を半月(はんげつ)の形にそったことから、始まったとされる。
「さかやき」を漢字で「月代」と書くのはそのためなのです。
日本の相撲(すもう)のちょんまげは、額ぎわを剃り上げていないので、月代(さかやき)に近い形となります。
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○ちょんまげは「蒸れ」を防ぐため!?
戦国時代になると、貴族だけでなく、武士も月代(さかやき)をするようになります。
武士は戦いのときに、頭を守るため鉄製(てつせい)の兜(かぶと)をかぶって出陣(しゅつじん)していました。
しかし、重い兜(かぶと)は頭のてっぺんに髪があると、蒸(む)れてのぼせてしまうことがあります。
(写真:taiyou.bandoutadanobu.com)
額から頭部のてっぺんにかけて、髪が結ってあるので兜(かぶ)をかぶったときにクッションとなっています。
はじめは戦いのときだけ髪(かみ)を剃(そ)って出陣(しゅつじん)し、普段は髪を伸ばしていました。
江戸時代(えどじだい)になると武士(ぶし)や武士以外の男の人にも広がり、ちょんまげが定着(ていちゃく)したと言われています。
(イラスト:kotobank.jp)
江戸時代の武士は、ちょんまげは武士の象徴(しょうちょう)でした。
当時はちょんまげを切るということは、武士の名誉(めいよ)を奪(うば)われたと同じものであったのです。
○まとめ
・ちょんまげは、江戸時代の男子の髪型として有名だった。
・海外でも日本の「ちょんまげ」や「ハラ切り」は、とても有名である。
・ちょんまげは額髪を広く剃り上げ、小さな髷を結うもの。
・剃(そ)り上げた頭を「さかやき」と言う。
・重い兜は頭のてっぺんに髪があると、蒸れてのぼせてしまう。
・江戸時代になると武士や武士以外の男の人にも広がり、ちょんまげが定着したと言われている。
・江戸時代の武士は、ちょんまげは武士の象徴だった。
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