知って得する雑学集

知って得する雑学の知識を提供

台所は家族の中心である「ダイニングキッチン」とは?

台所の近くにテーブルと椅子(いす)を置いて、家族(かぞく)みんなが食事をするという人も多いのではないでしょうか。





スポンサードリンク

テレビを見ながら食事や家族が団欒(だんらん)の場となっています。

また、そこで子どもが学校の宿題をしている小学生もいることでしょう。

このように食事をする場所(ダイニング)と料理をする場所(キッチン)が一緒になったところを、「ダイニングキッチン」と言います。

台所(きっちん)は、食事をつくる大切な場所です。

台所で使う火は、家の中を暖める暖房(だんぼう)や、日が暮れてから家の中を明るくする、照明(しょうめい)の働きをしていました。

しかし昔は、台所は火や水を使うために、「土間(どま)」という家の端(はし)につくられることが多かったのです。

戦後の台所では、水道やガスが使われるようになってから、台所は土間(どま)にあるという家がほとんどでした。

%e5%9c%9f%e9%96%93_amefuri-jp(土間_amefuri.jp)

そこでは流し台の高さが低くて、お米をとぐときや、洗い物をするときも、腰(こし)をかがめて行っていました。

○「台所」は家族の集まる家の中心へ!

戦後、日本の人々の暮らしはしだいに豊かになり、社会の仕組(しく)みも変わっていきました。

これまでのように一軒家(いっけんや)だけでなく、人口増加(じんこうぞうか)にともない、アパートやマンションも建てられるようになっていきました。

アパートやマンションでは、一軒家に比べてどうしても、居住空間(きょじゅうくうかん)が狭(せま)くなってしまいます。

火や水を使う台所をどうやってつくったらいいのか、家族が食事をするそばで、料理ををつくる場所がどうしても必要であったのです。

1951年に建設省(今の国土交通省)が定める「公営住宅標準設計(こうえいじゅうたくひょうじゅんせっけい)」の規格(きかく)において、台所と食事する場所の、2つの間取りが確立()かくりされました。

1955年に設立された日本住宅公団(にほんじゅうたくこうだん)の標準設計(ひょうじゅんせっけい)では、「ダイニングキッチン」を持つDK型の間取(まど)りとなりました。

%e5%85%ac%e5%96%b6%e4%bd%8f%e5%ae%85%e6%a8%99%e6%ba%96%e8%a8%ad%e8%a8%8851c%e5%9e%8b_%e5%bb%ba%e8%a8%88-seesaa-%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0(公営住宅標準設計51c型_建計 – Seesaa ブログ)

従来(じゅうらい)の一般(いっぱん)の庶民住宅(しょみんじゅうたく)では、畳敷(たたみし)きの茶の間にちゃぶ台を囲んで家族が食事をしていました。

ダイニングキッチンになってからは、テーブルでモダンな生活の象徴なっています。

実際、料理するスペースと食事をするスペースを兼用(けんよう)し、住宅の面積(めんせき)を節約(せつやく)する狙(ねら)いもあったのです。




スポンサードリンク

○ダイニングキッチンは女性初の一級建築士が考えた!

このダイニングキッチンを初めて取り入れたのが、女性で初めての一級建築士(いっきゅうけんちくし)の資格(しかく)をとったことで知られる、「浜口ミホ」という女性でした。

%e6%b5%9c%e5%8f%a3%e3%83%9f%e3%83%9b_yahoo%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0(浜口ミホ_Yahoo!ブログ)

「浜口ミホ」は、日本の女性建築家(じょせいけんちくか)で、中国・大連(たいれん)で生まれています。

夫は建築評論家(けんちくひょうろんか)の浜口隆一(はまぐちりゅういち)です。

1937年、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)卒業後、東京帝国大学工学部建築学科(とうきょうていこくだいがく・こうがくぶ・けんちくがっか)の聴講生(ちょうこうせい)となり、卒業後、前川国男(まえかわくにお)建築設計事務所(けんちくせっけいじむしょ)で建築を学んだ。

彼女は、住宅で裏方(うらかた)に追いやられていた台所を機能的(きのうてき)で明るい場所に引き上げた功績(こうせき)で知られるようになりました。

それからダイニングキッチンは、公団住宅(こうだんじゅうたく)をはじめ、民間のマンションや一戸建(いっこだて)住宅などにも、広く普及(ふきゅう)していきました。

さらに進化して、ダイニングキッチンよりも広い部屋である、リビングもダイニングキッチンと併用(へいよう)して、リビングとダイニング、キッチン(LDK)がつくられるようになりました。

%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%8b_%e6%b1%a0%e7%94%b0%e5%bb%ba%e8%a8%ad(LDK_池田建設)

○まとめ

・「ダイニングキッチン(DK)」は、食事をする場所と料理をする場所が一緒になったところを言う。

・昔は、台所は火や水を使うために、「土間」という家の端につくられることが多かった。

・そこでは流し台の高さが低くて、お米をとぐときや、洗い物をするときも、腰をかがめて行っていた。

・戦後、人口増加にともない、アパートやマンションも建てられ、一軒家に比べてどうしても、居住空間が狭くなっていた。

・火や水を使う台所をどうやってつくったらいいのか、家族が食事をするそばで、料理ををつくる場所がどうしても必要であった。

・1955年に設立された日本住宅公団の標準設計では、「ダイニングキッチン」を持つDK型の間取りとなった。

・ダイニングキッチンになってからは、テーブルでモダンな生活の象徴なった。

・このダイニングキッチンを初めて取り入れたのが、女性で初めての一級建築士の資格をとったことで知られる、「浜口ミホ」という女性だった。

・それからダイニングキッチンは、公団住宅をはじめ、民間のマンションや一戸建住宅などにも、広く普及していった。

・さらに進化して、ダイニングキッチンよりも広い部屋である、リビングもダイニングキッチンと併用して、リビングとダイニング、キッチン(LDK)がつくられるようになった。




スポンサードリンク

 - 一般, 日本の歴史, 歴史, 生活