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京都「銀閣寺」は銀じゃなく「黒うるし」塗りだった!

5月はゴールデンウィークで旅行に出かける人も多いと思います。
そこで今回「京都」の観光スポットも含めてご紹介します。

「京都」は、794年に日本の首都して定められ「平安京」として栄え、政治・文化の中心地でした。




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また京都には、風情ある観光地がたくさんあり、室町時代に「東山文化」として栄えていました。

○「銀閣寺」は銀じゃないの?

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(写真:commons.wikimedia.org)

京都では「金閣寺」と「銀閣寺」が有名ですが、
銀閣寺は銀じゃないって知っていましたか。

金閣寺は、その名の通り金箔が貼られ、美しく輝いていますが、銀閣寺は「慈照寺(じしょうじ)」と言い、銀箔が貼られておらず、「黒いうるし」が塗られています。

銀閣寺は、室町幕府である8代将軍足利義政が鹿苑寺の金閣を模して造営したもので、「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

はじめは「金閣寺」とは対象に、銀箔を塗るはずだったのですが、当時の幕府にそのお金がなかったため、諦めざるを得なかったと言われています。

当時「応仁の乱(1467年~1477年)」が終了した直後でもあり、京都の経済は疲弊していました。
将軍の義政が庶民に臨時の税や労役を課して、東山殿の造営を進めていましたが、義政の祖父である3代将軍足利義満が建てた金閣寺(鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能を持っていました。

慈照寺(じしょうじ)には、銀閣とともに国宝になっている「東宮堂」の建物があり、この中にある四畳半の部屋は「同仁斎(どうじんざい)」と呼ばれ、足利義政が仏像を置く堂として使ったとされています。
この部屋には、ふすまや畳、土壁、違い棚、付書院などがあり、現在和風住宅のはじまりとも言われています。

○足利義満が建て金箔で覆われた「金閣寺」

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(写真:find-travel.jp)

室町幕府3代将軍である足利義満が建立したとされる「金閣寺」は、鹿苑寺(ろくおんじ)と言われています。
銀閣寺もそうですが、お寺として建てられたものとなります。

建物の内外に金箔を貼った3層の桜閣建築である舎利殿となっている。舎利殿を含めた寺院全体は金閣寺として、よく知られています。

1950年(昭和25年)に放火により焼失し、1955年(昭和55年)に再建されている。今の金閣寺は室町時代の金閣寺ではなく、最近建て替えられたお寺となります。

しかし、金箔で覆われた金閣寺は黄金の島「ジパング」として、マルコポーロの「東方見聞録」にも、紹介されただけのことはあります。




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「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」という言葉がありますが、まさにこの「清水寺」を言ったものです。

清水寺は、法相宗系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの古い歴史を持ち、778年に開山されたと伝えられています。
古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されています。

清水寺は、最初「北観音寺」と呼ばれていましたが、境内に湧き出る清水を黄金延命水として知られるようになり、一般にも清めの水として知られるようになり、後に「清水寺」と改名しています。

清水寺は「清水の舞台」として有名な本堂になります。
崖下からの高さを18mもあり、その舞台から京都市内を一望できることが特徴となっています。

本堂の観音様には、千手観音が有名で毘沙門天、地蔵菩薩を安置されている。

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(写真:kyoto-np.jp)

○「二条城」は大政奉還が行われた場所

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(写真:kyoto.graphic.co.jp)

二条城は、比較的新しいお城で、江戸時代に造営されたものある。
徳川幕府の大政奉還した場所しても有名で、以後二条城は京都府の府庁や皇室の離宮として使用されていました。
1994年にはユネスコの世界文化遺産として登録されています。

敷地には、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画1016面が重要文化財に指定されている。

○京都は「風水」にもとづいてつくられている!

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(図:www.asdf.co.jp)

京都は「気を外に逃がさない」ようにと、風水が取りいられています。
風水とは、山や川の位置などを考えて、都市や家の場所を決める方法のことです。
風水で決めた場所は、「気」を外に逃がさないように、住む人たとが活気に満ちていると言われています。

「四神相応」の考え方では、地形と四方の神に対応しています。
北の山が「玄武」、南の海や湖が「朱雀」、東の丘や川が「青龍」、西の低い山や大きな道が「白虎」にあたり、この条件に合う土地がよいとされている。
京都は「風水」に合わせて造られた都であることがわかります。

○近畿は「都の近く」という意味!

京都周辺の2府5県の地域を「近畿地方」と言います。
「畿」は都を表すことばで、近畿は都に近い国々を意味します。
現代では、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、滋賀、三重の2府5県からなる地域を指します。

京都は、都の近くだけあって、昔は地方にたくさんの都があったのです。飛鳥時代~奈良時代にかけて200年間に、なんと十数回も遷都が行われてきたのです。
そのときの武家が、自分の地に都ということで、遷都が繰り返されてきたのです。
京都が都(今でいうと首都)になってからは、明治元年に東京に移るまでの間、1000年以上も遷都は行われていません。近畿はまさに京都が中心の都だったのです。

○まとめ

・京都は794年に都(首都)として1000年間「平安京」として栄え、政治・文化の中心だった。

・京都の「銀閣寺」は、室町幕府8代将軍足利義政が建立したお寺であるが、「応仁の乱」以後財政難で、「銀」の代わりに「黒うるし」を塗っていた。ユネスコの世界遺産に登録されている。

・「金閣寺」は室町幕府3代将軍足利義満が建立したもので、建物の内外には金箔を貼ってあり色鮮やかな黄金のお寺である。しかし1950年に放火にあい、今の「金閣寺」は最近になって建て替えられている。

・「清水寺」は、最初の名称は「北観音寺」と呼ばれていたが、境内を流れる清水が知られるようになり、「清水寺」と後で改名している。古い歴史を持ち778年に開山されたと伝えられている。

・「二条城」は徳川幕府が大政奉還されたところである。

・京都は「風水」にもとづいて、つくられた都である。

・近畿は都の近くという意味で、2府5県からなっている。




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