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美味しい「カップ麺」は日清が最初に製品化した!

今や世界中の人たちが食べている「カップ麺(めん)」は、熱いお湯を注(そそ)いで、3分間待つだけで食べられる、美味(おい)しくてとても便利な食品です。

このカップ麺は、即席麺類(そくせきめんるい)をコップ状の容器(ようき)に入れて、具材(ぐざい)を付加(ふか)したものです。





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この即席ラーメンを発明したのは、日本人の「安藤百福(あんどうももふく)」という人なのです。

ところで、カップ麺はどうして、簡単にできるのでしょうか?

麺の中に小さな穴がいっぱい空いていて、その穴からお湯を吸いこんで、もっちりと柔らかい麺ができあがるのです。

麺には味のついた粉(こな)がついていて、それがお湯に溶(と)けて、美味しいスープとともに、麺ができあがるのです。

○日清のカップ麺が最初に発売した!

1971年9月18日に日清食品(にっしんしょくひん)が「カップヌードル」として、最初に発売しました。

%e3%82%ab%e3%83%83%e3%83%97%e9%ba%ba_naver%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%81(写真:カップ麺_Naverまとめ)

どうして「カップ麺」にしたのかというと、カップ麺を売り込むために欧米にセールスに行った際に、ラーメン用のどんぶりが無かったため、紙コップで代用したことが始まりとされています。

ビニール袋(ふくろ)の即席ラーメンに比べて麺(めん)が少ないのは、このためです。

今では、袋のラーメンの量と同じ「大盛りサイズ」として、売り出しているところもあります。

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売り出した当初は、全くといってほどカップ麺は売れなかったのです。

売れ出すきっかけは、「あさま山荘事件」の際、機動隊員(きどうたいいん)が寒さの中、このカップヌードルを食べている姿がテレビに放映(ほうえい)されたため、日本全国に知られ普及(ふきゅう)したとされている。

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○即席麺を発明した「安藤百福」とはどんな人だったの?

安藤百福(あんどうももふく)は、台湾出身の実業家(じつぎょうか)で発明家(はつめいか)でもある。

日本で「チキンラーメン」や「カップヌードル」を開発し普及(ふきゅう)させ、インスタントラーメン産業の創始者(そうししゃ)である。

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今の日清食品(にっしんしょくひん)の創業者(そうぎょうしゃ)でもあるのです。

彼は「(株)中交総社(ちゅうこうそうしゃ)」を設立する。

1910年、台湾の嘉義庁(日本統治時代の台湾行政区分)で、生まれている。

両親は幼少期に亡くし、繊維問屋(せんいとんや)を経営する祖父母のもとに預(あず)けられ、育てられている。

22歳のときに父の遺産(いさん)を元手(もとで)に繊維商社(せんいしょうしゃ)「東洋莫大小」を設立する。

当時は肌着(はだぎ)や靴下(くつした)など伸縮性(しんしゅくせい)のある編(あ)み物生地(きじ)のメリヤスを扱う商社(しょうしゃ)で、事業に成功した。

翌年大阪市に「日東商会(にっとうしょうかい)」を設立し、日本で繊維(せんい)を仕入れ、それを台湾(たいわん)に輸出(ゆしゅつ)していた。

安藤は他にも、光学機器(こうがくきき)や精密機械(せいみつきかい)の製造(せいぞう)や、飛行機のエンジンの部品製造(ぶひんせいぞう)も行い、事業を拡大していった。

しかし第二次世界大戦であった時代、大阪大空襲(おおさかだいくうしゅう)によって、事務所や工場を全て焼失(しょうしつ)してしまう。

当時は食糧不足(しょくりょうぶそく)で栄養失調(えいようしちょう)や飢餓(きが)で亡くなる人が多かった。

彼は、大阪府南部の泉大津市(いずみおおつし)で、製塩事業(せいえんじぎょう)を始める。

その後、1948年泉大津市に資本金500万円で「中交総社(ちゅうこそうしゃ)」を設立する。

当時アメリカから送られる援助物資(えんじょぶっし)は、小麦粉(こむぎこ)を利用して作った、パンやビスケットだった。

彼は東洋の食文化である麺類(めんるい)を奨励(しょうれい)すべきと考えていた。

そして、麺文化(めんぶんか)の振興(しんこう)のために、自ら研究することになった。

約10年間の休眠状態(きゅうみんじょうたい)のときに、即席ラーメンを開発する。

%e6%9c%ac%e3%81%ae%e8%a9%b1(写真:本の話)

1958年に「チキンラーメン」の発明に伴い、今の「日清食品(にっしんしょくひん)」に社名を変更する。

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この「チキンラーメン」と「カップヌードル」を発明したことにより、食文化に大きな革新をもたらした。

今やインスタントラーメン産業は、約半世紀(はんせいき)を経て、世界総需要(せかいそうじゅよう)の1000億食を超える巨大な産業へと成長しているのです。

www-logsoku-com(写真:www.logsoku.com)

しかし、安藤は即席麺(そくせきめん)の開発は困難なものでした。

ある日彼は、天ぷらを揚げているのを見て「麺を油で揚(あ)げて、それを、お湯をかけて簡単に戻る麺(即席麺)を作れるのではないか」と思いつくのであった。

ついに1958年8月25日に、即席麺(そくせきめん)をつくることに成功したのです。

次に彼は、「どこでも食べれれるように」と、入れ物に入ったカップ麺を考え出したのです。

今では、どんぶりのような容器のカップ麺などはあったが、当初はコップの形をしたカップ麺だったのです。

○まとめ

・「カップ麺」は、熱いお湯を注いで、3分間待つだけで食べられる、美味(おい)しくてとても便利な食品。

・この即席ラーメンを発明したのは、日本人の「安藤百福」という人である。

・日清食品の創業者(そうぎょうしゃ)でもある。

・彼は、東洋の食文化である麺類を奨励すべきと考えていた。

・約10年間の休眠状態のときに、即席ラーメンを開発する。

・1958年に「チキンラーメン」の発明に伴い、今の「日清食品」に社名を変更する。

・この「チキンラーメン」と「カップヌードル」を発明したことにより、食文化に大きな革新をもたらした。

・今やインスタントラーメン産業は、約半世紀を経て、世界総需要の1000億食を超える巨大な産業へと成長している。




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