知って得する雑学集

知って得する雑学の知識を提供

サムライブルーで知られる「サッカー日本代表」の歴史!

青色を基調したチームカラーとして知られている、サッカー日本代表ですが、JFAが編成している日本・ナショナル・チームです。





スポンサードリンク

2002年には世界大会において初めて、ベスト16まで進み、それを契機(けいき)にサッカーブームとなっていきました。

FIFAワールドカップには、過去に5回出場して、2010年にもベスト16に進出しています。

○ベルリンの奇跡でサッカーブームに火がついた!

「サムライブルー」の愛称で知られる、サッカー日本代表チーム。

今世界で活躍しているサッカー日本代表チームが、初めて国際試合(こくさいじあい)に出場(しゅつじょう)したのは、1917年です。

その頃日本では、サッカーは盛(さか)んではなく、あまり目立った活躍(かつやくは)できませんでした。

サッカー日本代表(にほんだいひょう)が、初めて歴史的(れきしてき)な活躍をしたのは、1936年のベルリンオリンピックに出場したときでした。

このとき日本は、当時優勝候補(ゆうしょうこうほ)であるスウェーデンと対戦(たいせん)します。

このオリンピックでサッカーは、日本ではあまりニュースで取り上げることはありませんでした。

この試合で、日本代表は奇跡的(きせきてき)に勝利(しょうり)をおさめたのです。

この試合は後に、「ベルリンの奇跡」と呼ばれるようになります。

%e3%83%99%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%81%ae%e5%a5%87%e8%b7%a1_%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%ad%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%82%b7%e3%82%a7%e3%82%a2%e3%83%88%e3%83%83%e3%83%97(写真:ベルリンの奇跡_ランキングシェアトップ)

○FIFAワールドカップへの長い道のり!

サッカーの世界大会として有名な、4年に1回に開催されている「FIFAワールドカップ」は、1930年に第1回の大会が開催されています。

それ以来、サッカー日本代表が、このFIFAワールドカップに出場するまで、長い道のりで大変苦しいものがありました。

第1回大会では、日本も招待(しょうたい)されていたのですが、このとき遠く離れた「ウルグアイ」であったため、出場を辞退(じたい)しています。

次に第3回のフランス大会は、いったん出場を決めるも、太平洋戦争(たいへいようせんそう)の直前(ちょくぜん)だったため、途中で棄権(きけん)することになります。

それから戦後、1954年から日本代表は再びワールドカップ予選に出場することになりました。

このときから、各国がFIFAワールドカップに出場することになり、大会に出られるのは予選を通過したチームとなっていました。

当時日本は、ワールドカップよりも、オリンピックで活躍(かつやく)する方が大切と考えていたので、ワールドカップには熱心(ねっしん)に取り組んでいませんでした。

1968年の「メキシコオリンピック」で、日本代表が世界に注目を集めます。

このオリンピックで日本は、「銅メダル」を獲得(かくとく)するという活躍をみせたのです。

オリンピックでメダルを獲得したら、次はワールドカップということになります。

しかし、なかなかワールドカップのアジア予選(よせん)で勝ち抜くことはできませんでした。

1986年には、あと1勝で予選通過(よせんつうか)できる試合で、惜(お)しくも逃してしまいます。

そして1993年、日本に再びチャンスが訪れます。

対戦相手はイラクとの試合で、1点差以上で勝つことができれば、ワールドカップ出場ということになったのです。

試合はロスタイム直前(ちょくぜん)まで、日本がイラクに2-1で勝っていました。

しかし、ロスタイムになってイラクに1点を決められ、同点となり惜しくも予選出場を逃してしまいます。

このときの試合はスタジアムの場所の地名から「ドーハの悲劇(ひげき)」と呼ばれるようになります。

%e3%83%89%e3%83%bc%e3%83%8f%e3%81%ae%e6%82%b2%e5%8a%87_%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%8b%e3%83%81annex(写真:ドーハの悲劇_スポニチAnnex)




スポンサードリンク

○「ドーハの悲劇」からついにワールドカップ出場を決める!

「ドーハの悲劇」でワールドカップに出場できなかった日本代表ですが、次の4年後のワールドカップ出場が「最後の戦い」として注目されていました。

8年後の2002年には、日本と韓国が開催国となって、ワールドカップが行われることが決まっていたため、予選に参加しなくても本大会に出場できたからです。

自力でワールドカップ出場する最後の戦いになります。

4年後の1997年11月16日、日本はイランと対戦しました。

この試合はマレーシアで開催され、遠い日本からも多くのサッカーファンが応援(おうえん)に駆(か)けつけました。

あと1勝すれば、念願(ねんがん)のワールドカップ出場となっていました。

まるで日本のスタジアムで試合をしているかのように、日本のサッカーファンがこの試合に期待(きたい)を寄せていました。

そして始まった試合は同点のまま延長戦(えんちょうせん)になります。

この延長戦では、先に点を入れた方が勝つルールの「ゴールデンゴール」方式で試合が行われていました。

それから延長戦が終了する直前に、最後は岡野雅行(おかのまさゆき)選手が、ゴールを決めたのです。

matome-naver-jp(写真:matome.naver.jp)

この瞬間、日本がついに念願のワールドカップ出場を果たすことができたのです。

このときの試合は、「ジョホールバルの歓喜(かんき)」と呼ばれるようになりました。

%e3%82%b8%e3%83%a7%e3%83%9b%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%90%e3%83%ab%e3%81%ae%e6%ad%93%e5%96%9c_%e3%83%93%e3%82%ac%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%96%e3%80%9cbiggerlive(写真:ジョホールバルの歓喜_ビガーリブ〜BiggerLive)

○日本選手が世界で活躍する!

1998年のフランス大会で日本代表は、初めてワールドカップに出場を果たした日本ですが、このとき1勝もできずに終わってしまいます。

しかし、翌4年後の2002年の日韓大会(にっかんたいかい)では、決勝トーナメントまで勝ち上がり、世界ベスト16という成績(せいせき)をおさめることができたのです。

また、この日韓大会でのロシア戦が、日本代表ワールドカップ大会での初優勝(はつゆうしょう)となりました。

それから2006年、2010年、2014年と続けて、サッカー日本代表はワールドカップに出場を決めています。

これを契機(けいき)に、日本選手は世界に向けて活躍するようになっていきます。

今や日本のサッカーは世界でも注目され、優秀(ゆうしゅう)な選手が海外のクラブチームに所属(しょぞく)し、活躍することも多くなっていきました。

男子の日本代表は「サムライブルー」、女子の日本代表は「なでしこジャパン」の活躍により、世界に知れ渡ることになりました。

○まとめ

・サッカー日本代表は、JFAが編成している日本・ナショナル・チームのこと。

・「サムライブルー」の愛称で知られる、サッカー日本代表チーム。

・サッカー日本代表が、初めて歴史的な活躍をしたのは、1936年のベルリンオリンピックに出場であった。

・当時優勝候補であるスウェーデンと対戦し、日本代表は奇跡的に勝利をおさめた。

・この試合は後に、「ベルリンの奇跡」と呼ばれるようになった。

・1968年の「メキシコオリンピック」で、日本代表が「銅メダル」を獲得したことで世界に注目されるようになった。

・1993年にイラクとの試合で、1点差以上で勝つことができれば、ワールドカップ出場ということになった。

・ロスタイムになってイラクに1点を決められ、同点となり惜しくも予選出場を逃してしまう。

・このときの試合はスタジアムの場所の地名から「ドーハの悲劇」と呼ばれるようになった。

・1997年、日本はイランと対戦し、この延長戦では、「ゴールデンゴール」方式で試合が行われ、延長戦が終了する直前に、最後は岡野雅行選手が、ゴールを決めた。

・この瞬間、日本がついに念願のワールドカップ出場を果たすことができた。

・それから2006年、2010年、2014年と続けて、サッカー日本代表はワールドカップに出場を決めている。




スポンサードリンク

 - スポーツ, 一般, 日本の歴史, 歴史