「上を向いて歩こう」で知られる坂本九
「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」など数多くのヒット曲を歌った 坂本九 をご存じでしょうか。
「上を向いて歩こう」の作詞は永六輔、作曲は中村八大という当時を代表する作詞、作曲家が手掛けた歌であった。
日本人のみならずアジアでの歌手で唯一週間で一位を獲得し、当時年間ランキングでは十位にランクインする、空前のヒット曲となった。
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海外では「スキヤキ・ソング」という、タイトルで売られているところもある。これは当時日本でブームとなっていた、日本人と言えば「すき焼き」というイメージが強かったこともある。
坂本九が歌う「上を向いて歩こう」は、テレビ番組の「夢であいましょう」のNHKで放送され、レコードが発売されると爆発的大ヒットとなった。
レコード売り上げランキングでは、発売された1961年11月から、わずか3ヶ月間で売り上げでは一位を獲得した。
(写真:matome.naver.jp)
しかし、レコード大賞をとれるほどのヒット曲となったが、坂本の独特の歌いまわしが、保守的な当時の歌謡界には受け入れることはなかった。当然日本レコード大賞にも選ばれることもなかった。
「上を向いて歩こう」を作詞した永六輔も、坂本の独特の歌いまわしを批判するほどでもあった。
最期に日航機事故の犠牲者となり亡くなるまでの半生は、どのようなものだったのか。
ここで余談になるが、ピンクレディが大ヒット連発していた時に、なかなか日本の歌謡界は、レコード大賞を与えなかったことを記憶している。
そん中、民衆が怒り「何のためのレコード大賞なのか?」と疑問を呈する人も大勢いた。その年に一番売れた歌がレコード大賞ではないかのかと非難が殺到し、翌年ピンクレディが「日本レコード大賞」をとることができた。
それ以来、その年に一番売れたレコードやCDの歌がレコード大賞となるようになった。
「演歌」最盛期の歌謡界は、日本の美を重んじるあまり、審査が違う方向へいってしまったのでは。
坂本九が歌った「上を向いて歩こう」も世間のヒットとは、かけ離れた日本の歌謡界にとっては、受け入れがたいものであったことは容易に想像することができる。
○「坂本九」とは、いったいどんな人物だったのか?
坂本九(1941年12月1日~1985年8月12日)は、日本の歌手・タレント、俳優、司会者でもあった。
神奈川県川崎市川崎区出身で、人々は「九ちゃん」という愛称で親しまれた。
奥さんは女優の柏木由紀子さんで、娘が2人いる。
彼のヒット曲「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」など数多くのヒット曲を歌い、全世界でレコード売り上げ枚数は1500万枚以上にも達する。
映画や俳優、司会など多岐に渡り活躍していた坂本九であるが、元マネージャーの大阪の選挙応援に向かう途中、坂本九が乗る日航機が墜落し、帰らぬ人となった。
坂本九は、17歳で音楽の道に入り、所属していたのは初期の「ザ・ドリフターズ」のグループで、音楽バンドとして活躍していた。
(写真:ザ・ドリフターズの歴史だよ!全員集合)
その後、独立して音楽活動を開始する。
当時坂本九の歌はなかなかヒットしなかったものの、坂本九のいつもやさしい笑顔を絶やさないで歌う姿に、人々にだんだん人気者になり、受け入れられるようになっていった。
そして大ヒットとなったのは、冒頭でも述べた1961年に歌った「上を向いて歩こう」であった。
この曲は「スキヤキ・ソング」というタイトルで欧米でも発売され、わずか1カ月で全米一位を獲得するほどの大ヒットとなった。
それから「見上げてごらん夜の星を」や「明日があるさ」、「涙くんさよなら」、「幸せなら手をたたこう」などのヒット曲を歌った。
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○日航機事故で帰らぬ人に!
坂本九は、歌手として歌うだけでなく、テレビの司会者としても人気者であった。
クイズ番組の司会者や年末のNHK紅白歌合戦の司会者にも選ばれ、忙しい日々を過ごしていた。
一方で福祉活動にも力を入れていて、当時流行していた小児麻痺(しょうにまひ)のための募金活動を始め、手話を広める運動も行っていた。
しかし1985年8月12日、東京発大阪行きの日本空港を発ったジャンボ旅客機が、群馬県の御巣鷹の尾根(おすたかのおね)に墜落した。
乗員・乗客524名のうち、520人もの犠牲者を出す悲惨な事故となった。
(写真:御巣鷹山_kotobank.jp)
坂本九はこの便に搭乗していて、その犠牲者の一人となってしまった。
その頃、坂本は本業である歌に、もう一度力を注ごうと決意していたされている時期でもあったという。
しかし坂本九の歌は、今も多くの人に愛され、人々を元気にしてくれている。
天国で、坂本九は笑顔で歌い続けていることでしょう。
○まとめ
・坂本九は「上を向いて歩こう」を歌って爆発的な大ヒットとなった。
・坂本九の独特の歌いまわしが批判され、日本レコード大賞をとることはなかった。
・海外では「すきやき・ソング」名で、「上を向いて歩こう」が大ヒットとなった。
・坂本九が歌ったその他の曲は、「見上げてごらん夜の星に」、や「明日があるさ」、「涙くんさよなら」、「幸せなら手をたたこう」などのヒット曲などがある。
・1985年8月12日東京発大阪行きジャンボ旅客機が、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、帰らぬ人となった。
・坂本九の歌は、今も多くの人に愛され、人々を元気を与えてくれている。
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