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漂流体験をした「ジョン万次郎」は日米の橋渡しとなった!

あなたはある日、海の上で船に乗っていたときに、突然船が操作できなくなり、無人島に流さ着いたとき、あなたはどうするでしょうか。

そして半年近く、仲間とそこで過ごし、今度は全く知らない外国に連れて行かれてしまう。




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そんな体験をもしあなたがしたら、不安で夜も眠れない日々を過ごすことになるだろう。

今の時代であれば、外国についての情報はある程度手に入るが、江戸時代は、鎖国で開港を許されているのはほんの一部だけで、そんな情報も全くない時代。

そんなときあなたは、何ができるでしょうか?

○人生を変えた漂流体験

「ジョン万次郎」(本名:中濱 萬次郎)は、江戸時代末期に実際に、そのような体験をした人物である。

(ジョン万次郎 – 出典:Wikipedia)

彼は日米和親条約の締結に尽力し、通訳・教師などをして活躍している。

その後「ジョン萬次郎漂流記」で直木賞を受賞し、それから「ジョン万次郎」という呼称を使用するようになった。

(ジョン万次郎漂流記 (偕成社文庫)_出典:アマゾン)

万次郎は、現在の高知県土佐清水市中浜で生まれ、家は半農半魚をやっていた。万次郎は、そこの次男として生まれる。

万次郎が8歳のとき父が亡くなり、母も病弱だったため、万次郎は幼いときから家族を養うために働いていた。

当時・勉強するための寺子屋に行くお金もなく、読み書きもほとんど出来なかった。

ある日、万次郎14歳のとき、手伝いで漁師仲間4人と一緒に漁に出た。

しかし、その日は天候が悪く、やがて真っ黒な雲が空を覆い、嵐がが襲ってきた。

何とか船は沈まなかったが、船は操作不能になり、漁師(りょうし)仲間4人とともに遭難(そうなん)し、5日半の漂流後、奇跡的に無人島にたどりついた。

そこは鳥島(とりしま)という、今の伊豆諸島の小さな島に辿り着いた。

そこは岩だらけで、草も木もはえていない無人島。
万次郎たちは、アホウドリを食べて、飢えをしのいだ。

夜は洞窟で眠る生活を、143日間続いた。

○万次郎はアメリカへ渡る!

無人島での暮らしは5カ月ほど続いた。

そこへ一隻の船が通りかかった。アメリカの船だった。

そして万次郎はたちは、ようやく助けてもらうことができた。

その船は、クジラを捕獲するために航海をしていた「捕鯨船(ほげいせん)」の「ジョン・ホーランド号」だった。

万次郎たちは、船の仕事を手伝うようになり、そのうち一番年下の若い万次郎は船員たちに船の名前をとって「ジョン・マン」と呼ばれるようになり、愛されていた。

(少年の頃のジョン万次郎_出典:巡るめく四国 )

日本はその頃鎖国をしていたため、漂流者のうち年配の者は、寄港先のハワイで下ろされたが、万次郎は本人の希望から、そのまま一緒に航海に出ることになった。

働き者で頭のいい万次郎は、船長に気に入られ、とても可愛がられた。

こうして、万次郎はホイットフィールド船長とともに、アメリカ本土へ行くことになった。




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○万次郎、初めてのアメリカ生活

アメリカに着いた万次郎は、ホイットフィールド船長の家に引き取られ、学校に通った。

万次郎は学校での成績は優秀で、とくに数学が得意であった。

ホイットフィールドは、喜んでさらに上の学校に進ませ、航海術など学問を学ばせた。

万次郎にとって、アメリカの生活はとても幸せなものだった。

その頃のアメリカは日本と異なり、白人と黒人などの間には人種差別があったが、自由と平等という、日本にはない考え方は、万次郎にも大きな影響を与えた

そんアメリカ生活をおくっていた万次郎だが、ふるさとへの想いが強くなり、帰りたいという気持ちになっていった。

日本に帰るためには、たくさんのお金が必要なるで、万次郎はお金を稼ぐには、どうしたらいいか考えた。

航海から戻ると、今度は「アメリカの西部では金がたくさんとれる」という話しを聞きつけた。

さっそく万次郎はカリフォルニアに行き、金を掘って売ってお金を溜めた

こうして溜めたお金の一部をホイットフィールドに渡し、長い長い手紙を書いて、万次郎はハワイへと向かった。

久しぶりに会った仲間たちも、ハワイでの仕事がうまくいって、ハワイの住人と結婚して幸せに暮らしていた。

それでも仲間たちのうち二人は、万次郎とともに日本に帰ることを決意した。

○万次郎、ようやく日本に戻る!

そして1850年の12月、ついに万次郎たちは、中国行きの船に乗せてもらうことができた。

その翌年、日本の近くの琉球(今の沖縄)まで行ったときに、ボートを下ろして、それに乗り込み、上陸することができた。

こうして万次郎は、漂流から10年、やっとの想いで日本に帰り着くことができたのであった。

万次郎たちはその後、薩摩(今の鹿児島県)におくられた。

万次郎のアメリカでの知識はとても役に立つものであったので、そこで英語の先生などをして、長崎におくられ、幕府の取り調べを受けた。

それからようやく、なつかしい故郷の土佐に帰ることができた。

日本に残していた病弱な母に、10年ぶりにあうことができた。

そして、ホイットフィールドやアメリカで出会ったたくさんの人たちに、心の中で感謝した。

万次郎がアメリカで得た知識は、移り変わる時代の中で、西洋の知識を身につけ、学ぼうとする人たちにとって、とても役にたった。

万次郎もそれを伝えるために、英語の先生をしたり、幕府の通訳をつとめたりするなどした。

一人の漁師であった若い万次郎は、漂流体験を通して、万次郎の人生だけでなく、日本の歴史も変わることになっていった。

○まとめ

・あなたはある日、無人島に流さ着いたとき、あなたはどうするでしょうか。

・「ジョン万次郎」は、江戸時代末期に実際にそういう体験をした人物である。しかも、アメリカへ渡り勉強をし、お金を稼ぐ。

・「ジョン萬次郎漂流記」で直木賞を受賞し、それから「ジョン万次郎」という呼称を使用するようになった。

・ジョン万次郎は、漂流してアメリカに渡り、10年ぶりに日本に帰国することができた。

・帰国後、日米和親条約の締結に尽力し、通訳・教師などをして活躍した。




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