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発明王「エジソン」は、片方の耳はほとんど聴こえていなかった!

皆さんご存じの「エジソン」ですが、実は片方の耳はほとんど聴こえていなかったのはご存じだったでしょうか。

それにも関らず私たちの生活にはなくてはならない、1000以上もの発明をし、特許を取得しています。





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トーマス・エジソン(1847年2月11日~1931年10月18日)は、「白熱電球」や「蓄音機」、「直流電力」などの発明は有名です。

エジソンの発明の多くは、他人の発明したアイディアを改良したものが多く、盗作疑惑もあったりしています。

特に知られている「白熱電球」には、エジソンは相当苦労したようです。

それまで、電球はあったもののすぐに電球の中のフィラメントが切れてしまい、実用に耐えうるものではなかったのです。

エジソンは、実用化に耐えうる「白熱電球」の研究をするのに、テナントを集めて、資金を調達したのです。

いろいろな素材のフィラメントを試すも、なかなか長時間電球を灯すことができなく、失敗の連続であった。

nexus-news.net(写真:nexus-news.net)

エジソンは電球ついて、フィラメントの素材を試すも一万回以上も失敗している。

この失敗について、「このやり方ではうまくいかないことを、一万回発見している」と言っている。

ijin-meigen.seesaa.net(写真:ijin-meigen.seesaa.net)

あるときエジソンが、研究室にいないことで助手が探したところ、棚の中にいるところをよく見かけたという。
行き詰るとエジソンは、棚の中に入っていることもあったといいます。

○エジソンは、片方の耳はほとんど聴こえていなかった!

エジソンの片方の耳は、ほとんど聴こえていなかったと言われています。

幼少のときに、エジソンは新聞配達していました。
駅のホームやしばしば列車の中で、新聞を配っていたこともありす。

www.wikiwand.com(写真:www.wikiwand.com)

ホームから列車に乗るのが間に合わず、走る列車から乗務員がエジソンを乗せるために、両耳を引っ張って乗せました。
このとき、耳に支障を来すようになり、以来片方の耳は、ほとんど聴こえないようになったと言われている。

しばしば、研究中にエジソンは助手の話を聞くときに、片側で話を聴く場面があった。

しかし、エジソンの難聴が発明に寄与しているのです。
それは、最初に電話を発明したのは「グラハム・ベル」ですが、当時の電話は、よく相手の声をうまく聴き取れないものでした。

ja.wikipedia.org (3)(写真:ja.wikipedia.org)

そこで、エジソンは電話の声を、よく聴こえるように改良し、受話器の性能を重視していたという説もあり、現在の受話器の形にしたのは、エジソンと言われています。

ここで余談になりますが、作曲家で知られる「ベートーベン」は両耳が聴こえてなかったと言われています。
ある日突然両耳が聴こえなくなり、作曲家であるベートーベンには致命的でした。曲を作る際に、歯でピアノの鍵盤をたたき、曲を作ったとう逸話もあります。

エジソンは片方の耳だけなので、なんとか人の話を聴くことができたのです。

耳が悪かったことで、周りの雑音が聴こえなく、研究に没頭できたと彼は言っています。




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○エジソンは、実は落ちこぼれだった!

エジソンはアメリカ生まれで、幼少の頃から体が弱く、病気になりやすい子供でした。
他の子供たちから2年遅れて、8歳のときに小学校に入学しています。

学校の勉強は、エジソンには合わず、成績は振るいませんでした。

先生にいつでも「なぜ?なぜ?なぜ?、」を繰り返し、先生も最後は「君の頭は腐っている」と言い放し、それが原因かは定かでありませんが、エジソンは学校に行くのが嫌になり、ついには学校を辞めてしまうのです。

学校へ行けなくなったエジソンですが、元教師である母親が、一切の勉強をエジソンに教えることになるのです。

ja.wikipedia.org (2)(写真:ja.wikipedia.org )

もともと好奇心旺盛なエジソンに対して、家の地下室に様々な化学薬品を揃え、エジソン自身もその地下室で、科学実験に没頭するようになるのです。

そのためかエジソン自身、人としゃべるのが苦手で、演説なども大の苦手とされています。

○エジソンの発明!

エジソンの発明は、1000以上あると言われています。
蓄音機と映写機の発明は、エジソンにとっても得意な分野であった。それ以前に、電話機、無線機の発明をしているので、その応用で発明に至ったものと思われます。

当時の蓄音機は、録音と再生はノズルは別で交換して使用されていた。

www.kahan-design.com(写真:www.kahan-design.com)

蓄音機に録音された「メリーさんのひつじ」は、エジソンの生の声が今でも残っています。

また、エジソンは送電に関して「直流」にこだわっていました。

ニコラ・テラスは送電は「交流」を採用していたのです。そこで、エジソンは「交流は危険」などと誹謗中傷し、悪い印象を持たせたと言われています。

エジソンは小学校を中退しているので、交流に関しての知識は全くと言っていいほどなかったので、仕方ないと言えるでしょう。

今では電気の送電には、交流を使っているので、当たり前になっていますが、当時は交流そのものを理解する人も少なかったのも原因の一つとなっています。

○エジソンの名言「1%のひらめきと99%の努力」は本当?

私たち日本人は、「99%の努力があって、1%のひらめきがある」と言われていました。

実際は違っていたようです。

この言葉は、エジソンが言った言葉とされているようですが、実際は「1%のひらめきがあれば、99%の努力が無駄になってしまう」とか、「1%のひらめきがあれば、99%の無駄な努力をしなくてもよい」という、解釈は様々に伝わっています。

後年エジソンは周囲の人に、「努力を強調する文章に書きかえられてしまったようだ」と言っています。

○まとめ

・発明王「エジソン」の片方の耳はほとんど聴こえていなかった。

・列車の新聞販売で、乗務員が無理やりエジソンの耳を持って列車に乗せたのが原因とされている。

・エジソンの発明で「白熱電球」は相当に苦しんだ発明であった。

・耳がよく聴こえなかったことで、電話の受話器の改良ができたと言われている。

・エジソンは、小学校を中退している。独自に勉強をして発明王と言われるまでなった。

・エジソンの名言で「1%のひらめきと99%の努力」は、実は1%のひらめきあれば、99%の努力は必要ない」というものだった。




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