知って得する雑学集

知って得する雑学の知識を提供

「吉田茂」自衛隊の訓辞で言った平和主義って何!

日本の歴代総理大臣として最も有名な「吉田茂(第45代・第48-51代総理大臣)」は、日本が第二次世界大戦に負けて、敗戦国となった日本を復興へと導いた総理大臣なのです。




スポンサードリンク


1953年衆議院が解散するときに、「バカヤロー解散」でも有名です。

吉田茂は、今の安部政権を支える「麻生太郎財務相」の祖父にあたり、安部首相の遠い親戚でもある。

吉田家の家系図(図:吉田家の家系図)

吉田茂は、「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある」「大志を抱けば、天下何ものか恐るるに足らず」などの、名言などを残している。

今求められているのは、どれだけの政治家が「大志」をもって、政治に取り組んでいるのか。

他国を優先していないか、国益を優先して政治に取り組んでいるのかが問題である。

○吉田茂とは、どんな人物だったのか?

吉田茂は東京都出身の政治家で外交官としても有名で、第45・48~51代の総理大臣を務めている。

吉田茂に学べ_blogblues.exblog.jp(写真:吉田茂に学べ_blogblues.exblog.jp )

聡明な頭脳とリーダーシップで戦後の混乱した日本を、復興し盛り立てた首相である。

当時流行だったボーラーハットに葉巻をこよなく愛したことから当時「和製チャーチル(英国の政治家)」とも呼ばれていた。

ここでチャーチルについて簡単に説明すると、チャーチルは吉田茂と同様に政治家であり、当時イギリスの首相であった。

チャーチルは、第二次世界大戦中のイギリスを勝利に導き、BBCが2002年に行った「偉大な英国人」投票で1位に選ばれる、いわば国民的英雄の人物だった。

1953年には、「ノーベル賞」を受賞している。

ウィンストン・チャーチル_ja.wikipedia.org(写真:ウィンストン・チャーチル_ja.wikipedia.org)

そんな「偉大な英国人」に影響されてか、吉田茂も和製チャーチルとして、日本は敗戦国となってしまったが、日本を代表し復興に導いた指導者であった。

吉田は、当時戦勝国として日本を占領していたアメリカと協力しながらも、日本を平和で民主的な国にしていけるようにした。

1946年に、これまでの「大日本帝国憲法」を改憲して、「日本国憲法」である国民主権を第一に考えた憲法をつくることに、尽力を注いだ。

さらに小学校や中学校の「教育基本法」や農業の土地についての「農地改革」などの法律を定めている。

1950年には警察予備隊(今の自衛隊)も組織している。

このように法律を整備することで、日本の民主化を進め、国の力をつけていこうとした人物である。

それから1951年には、「サンフランシスコ講和条約」を結び、これまでアメリカに占領されていた日本を、ついに独立させたのである。

その後日本は「高度経済成長期」の時代を迎え、日本は奇跡的な復興を果たした。

吉田は1963年に政界を引退し、1967年に89歳で亡くなる。




スポンサードリンク

○吉田茂が自衛隊の訓辞で言った名言とは!

吉田茂元首相が、当時防衛大学第1回卒業式で、述べた訓辞は有名で、今の時代にも必要な名言でもある。

君達は自衛隊在職中、
決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく
自衛隊を終わるかもしれない。

きっと非難とか
叱咤ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。

しかし、自衛隊が国民から歓迎され
ちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している
時だけなのだ。

言葉を換えれば、
君達が日陰者である時のほうが、
国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。

○今日本は、安全保障の危機に陥っている!

安全保障とは、国際関係における安全を主として、他国の防衛をその主眼に沿えるものである。

今日本では、安全保障について議論され、日本のみならず海外の紛争についても、日本の自衛隊を他国に攻撃を許すものである。

自衛隊を表に出すということは、他国のみならず国家が混迷していることが一因にあると考える。

また、憲法9条の解釈がねじ曲げられているようだ。
その憲法9条も改憲しようとすると動きも出てきている。

今憲法を改憲してまで、米国を中心とする集団的自衛権を行使する意味があるのだろうか。

過去の日本は他の国へ侵略し、他国の人権・財産を奪った歴史があり、国内においても戦争という名のもと、国民を危険にさらした経緯もある。

吉田茂元首相が言う、今の政治家に「大志」を持って、外交しているのか。

今の政治家に「大志」をもって、日本を支えてほしいと願うものです。

○まとめ

・吉田茂は、第45代・第48-51代の日本の首相であった。

・日本は第二次世界大戦に負けて、敗戦国となった日本を復興へと導いた総理大臣である。

・1953年衆議院が解散するときに、「バカヤロー解散」でも有名。

・吉田茂は、今の安部政権を支える「麻生太郎財務相」の祖父でもある。

・吉田茂は、「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある」、「大志を抱けば、天下何ものか恐るるに足らず」など、名言を残している。

・吉田茂は、「和製チャーチル(英国の政治家)」とも呼ばれていた。

・吉田茂元首相が、当時防衛大学第1回卒業式の訓辞が有名。

・『自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。』と述べている。




スポンサードリンク

 - 偉人, 日本の偉人