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ルネサンスを代表する天才・レオナルド・ダヴィンチとはどんな人だったの?

レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス時代を代表する芸術家(げいじゅつか)です。

その他にも、音楽(おあんがく)、建築(けんちく)、数学(すうがく)、幾何学(きかがく)、解剖学(かいぼうがく)、天体学(てんたいがく)、気象学(きしょうがく)など、さまざまな分野で功績(こうせき)を残している、いわば万能人(ばんのうじん)として知られている。





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彼の代表する絵画(かいが)「モナ・リザ」は、世界で最も知られた、最も人々に見られた、美術作品(びじゅつさくひん)ということになります。

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モナ・リザのモデルは、フィレンチェの裕福(ゆうふく)な家庭(かてい)のリザ・デル・ジョコンダとされている。

彼は、ジョコンダに絵画を渡すように要求されていたが、ダヴィンチは絵画を手渡すことをしなかった。

むしろ「モナ・リザ」を手放すことがおしくなり、代わりの絵画をジョコンダに渡したという説もある。

彼は生涯(しょうがい)、この「モナ・リザ」を手放すことはなかったと言われている。

○レオナルド・ダ・ヴィンチとはどんな人?

レオナルドは、イタリアのトスカーナという小さな村である「ヴィンチ村」で生まれている。

レオナルドの名前に「ダ・ヴィンチ」がつくのは、このためだったと言われている。

この頃の時代は、「ルネサンス」時代と言われ、文化を復興しようとする文化運動がおこり、14世紀でイタリアから始まった。

イタリアでは、優れた芸術家がたくさんいて、すばらしい芸術作品をたくさん輩出(はいしゅつ)した時代でもあったのです。

レオナルドが14歳のとき父親は、画家(がか)・彫刻家(ちょうこくか)でも「ベロッキオ」という優秀(ゆうしゅう)な芸術家に弟子(でし)入りさせるのです。

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レオナルドも芸術を学び、修業(しゅうぎょう)は6年にも及んだ。

画家として成長したレオナルドは、自分でアトリアをつくり、仕事を始めました。

彼の美しい絵は、人気となり仕事は順調(じゅんちょう)になっていったのです。

○万能人・レオナルドはさまざな分野で活躍!

30歳になったレオナルドは、イタリアのミラノを治(おさ)めているルドヴィーコ・スフォルツァ公に仕(つか)えることになります。

このとき彼は、美しい絵画(かいが)ではなく、戦車(せんしゃ)や大砲(たいほう)、橋や地下道などの設計図(せっけいず)だったのです。

この頃のイタリアは、戦争目前(せんそうもくぜん)だったので、そういった設計図をスフォルツァ公に渡していたのです。

彼はミラノで17年を過ごし、彼は死んだ人間を解剖(かいぼう)することに熱心(ねっしん)になり、体の中を細かく描き写したこともありました。

これは、人間の体を正しく描(えが)くのにとても役だったと言われています。

後にロボット工学においても多いに役だったのです。

さらに、鳥が飛ぶ仕組みにも興味(きょうみ)を持ち、飛行機(ひこうき)のようなものを設計(せっけい)して、作ったとも言われている。

絵画(かいが)では、イエス・キリストと12人の弟子(でし)が最後の食事をする様子を描(えが)いた「最後の晩餐(ばんさん)」や、大商人の妻を描いた「モナ・リザ」などが特に有名です。

そんな万能人であったレオナルドは、こんな言葉を残してします。

「若いうちに努力せよ!」

彼が天才と呼ばれるようになったのも、若い頃の努力があったからなのです。




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○「最後の晩餐」には一点透視図法が使われている!

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品で、特に有名なのは、イエス・キリストと12人の弟子(でし)を描いた「最後の晩餐(ばんさん)」は有名である。

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絵は、ミラノにるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院(しゅうどういん)の食堂の壁(かべ)に描かれている。

縦420cm、横910cmの巨大なものである。

レオナルドは1495年に制作(せいさく)にとりかかり、3年という年月をかけて仕上げている。

この3年というペースは彼にとっては最も速い仕上がりである。

「最後の晩餐」のある修道院(しゅうどういん)は、「ドメニコ会修道院」として、世界遺産(せかいいさん)に登録されている。

この「最後の晩餐」は当時修道院の食堂に描かれていて、床から2mほどの高さに描かれている。

そのため最も損傷(そんしょう)の激(はげ)しい絵画(かいが)としても知られている。その修復(しゅうふく)には大変な費用(ひよう)と期間をかけている。

この絵画は、「一点透視図法(いってんとうしずほう)」が使われていて、部屋の様子を立体的(りったいてき)に描かれている。

ある位置からみると、絵画の天井の線と実際の壁と天井との境目がつながっていて、部屋の壁の奥方向(おくほうこう)へと広がっているように見えるという。

○まとめ

・レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス時代を代表する芸術家である。

・彼は、音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、天体学、気象学など、さまざまな分野で功績を残している。

・彼の代表する絵画「モナ・リザ」は、世界で最も知られている。

・彼は生涯)、この「モナ・リザ」を手放すことはなかったと言われている。

・「ルネサンス」時代と言われ、文化を復興しようとする文化運動がおこり、14世紀でイタリアから始まった。

・レオナルドは、イタリアのミラノを治めているルドヴィーコ・スフォルツァ公に仕えている。

・このとき彼は、美しい絵画(かいが)ではなく、戦車や大砲、橋や地下道などの設計図だった。

・彼は死んだ人間を解剖することに熱心になり、体の中を細かく描き写したこともあった。

・鳥が飛ぶ仕組みにも興味を持ち、飛行機のようなものを設計して作った。

・「最後の晩餐」には一点透視図法が使われている。




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