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障害を乗り越え歌手として世界で活躍した「レーナマリア」

体に障害(しょうがい)があっても、普通の人のように生活したいと、そう考える人はたくさんいて、実際にそのように生活している人も、世の中にはたくさんいます。

キリスト教で歌われる「ゴスペル」という音楽の歌手として、世界中で歌い活躍(かつやく)している「レーナ・マリア」という女性もその一人なのです。





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彼女は生まれつき、両腕(りょううで)がなく、左右の脚(あし)も半分ぐらいしかないという重度(じゅうど)の障害(しょうがい)を抱(かか)えて生まれました。

彼女は、1998年の長野パラリンピック(冬季)の開会式で歌っているのです。

○レーナ・マリアとはどんな人なの?

レーナ・マリア・クリングヴァル(1968年-)は、スウェーデン出身のゴスペルシンガーの歌手として有名です。

www-prop-or-jp(写真:www.prop.or.jp)

また1988年のソウルのパラリンピックで水泳選手として出場しているのです。

彼女が結婚する前、旧姓・ヨハンソンとして世界中で活躍し、日本にもコンサートで訪れています。

レーナ・マリアは1968年に、スウェーデン中南部のハーボ村に生まれるが、障害(しょうがい)があり、出生時(しゅっせいじ)から両腕(りょううで)がなく、左右(さゆう)の脚(あし)の長さも普通(ふつう)の人の半分(はんぶん)の長さであった。

彼女の両親は、そんな彼女に愛情(あいじょう)を注(そそ)ぎながらも、障害(しょうがい)のない子どもと同じように育てていきました。

「障害があるから」ということで、何かをさせなかったり、甘やかすということをしませんでした。

やがて彼女が大きくなり、義足(ぎそく)を左脚(ひだりあし)につけて、自分で歩けるようになりました。

するとレーナは、自分でどんどんと、いろいろなことをするようになっていきます。

そこで両親は、レーナを水泳教室(すいえいきょうしつ)に通(かよ)わせたり、教会(きょうかい)の聖歌隊(せいかたい)に入れて、歌の練習(れんしゅう)をさせるようになります。

彼女は水泳でも歌でも、すばらしい才能(さいのう)をみせていました。

それからレーナの人生は、このとき決まったといってもいいでしょう。

歌と水泳の人生を歩むことになったのです。

彼女は、1995年ビョーン・クリングヴァルと結婚をします。

それから、長らく日本での活動を休止して、その間に音楽のパートナーだったピアニストのアンダース・ウィーク氏と活動を別にするようになり、またご主人のビョーン・クリングヴァルと離婚をしてしまいます。




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○水泳選手から歌手へ!

レーナは普通(ふつう)の子どもと同じように学校(がっこう)に通(かよ)い、学校生活(がっこうせいかつ)をみんなと一緒(いっしょ)に楽しみました。

彼女は、水泳の練習と音楽の勉強も、とても一生懸命(いっしょうけんめい)続け、力をつけていきました。

レーナが15歳のときから、障害者(しょうがいしゃ)のスポーツ大会に出るようになり、水泳選手(すいえいせんしゅ)として、活躍(かつやく)するようになります。

18歳と19歳のときの世界大会で、金メダルをとれるほどの実力となっていました。

彼女が20歳のときに、韓国・ソウルで行われた、障害者のためのオリンピック「パラリンピック」にも出場して、活躍しました。

1988年のソウルパラリンピックでの成績は、背泳(はいえい)4位、自由形(じゆうがた)5位、平泳(ひらおよ)ぎ6位の成績をおさめています。

それから、高校で音楽の勉強をして、音楽大学に進んだレーナは、歌手として活躍していくために、水泳選手としての活動をやめてしまいます。

大学を卒業してから、今度は「ゴスペル」の歌手として歌うようになります。

彼女のドキュメンタリー番組「目標に向かって」がヨーロッパ各地でテレビ放映(ほうえい)され、大きな反響(はんきょう)を呼んだのです。

www-prop-or-jp-3(写真:www.prop.or.jp )

このとき彼女は「神様は、私の体の代わりに豊かな心を与えてくれた」といっています。

「自分を愛して大切にすることが大事」とレーナは語っている。

レーナは、今でも世界中でコンサートを開き、たくさんの人々に感動と勇気を与えてくれているのです。

また彼女は、次のような名言を残しています。

『神様は、なにか目的があって、わたしをこういう形に造られたのだと思います。ですから、その目的がなんであったのか、これから知らされるのが楽しみです。』

○まとめ

・レーナ・マリア」という女性は、生まれつき、両腕がなく、左右の脚も半分ぐらいしかないという重度)の障害を抱えて生まれた。

・1998年の長野パラリンピック(冬季)の開会式で歌っている。

・1988年のソウルのパラリンピックで水泳選手として出場している。

・彼女の両親は、そんな彼女に愛情を注ぎながらも、障害のない子どもと同じように育てた。

・両親は、レーナを水泳教室に通(かよ)わせたり、教会の聖歌隊に入れて、歌の練習をさせた。

・大学を卒業してから、今度は「ゴスペル」の歌手として歌うようになった。

・彼女のドキュメンタリー番組「目標に向かって」がヨーロッパ各地でテレビ放映され、大きな反響を呼んだ。

・レーナは、今でも世界中でコンサートを開き、たくさんの人々に感動と勇気を与えてくれている。




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