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筆算を考え和算を発展させた「関孝和」とはどんな人?

私たちは小学校で、足し算や引き算など「算数(さんすう)」を勉強(べんきょう)しています。

このように数字(すうじ)を扱(あつか)う学問(がくもん)を「数学(すうがく)」と言います。





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江戸時代、一部の港(みなと)を除(のぞ)き、日本を鎖国(さこく)をしていました。

一部の港(みなと)は開港(かいこう)していても、幕府(ばくふ)の許可(きょか)したものしか、貿易(ぼうえき)をしていない時代。

その頃外国では、数学(すうがく)や科学(かがく)などが、どんどん発達していたのですが、日本では「和算(わさん)」という、独自(どくじ)の数学が発達(はったつ)していきました。

漢代(かんだい、中国・漢の時代)に大陸から伝わった「九章算術(きゅうしゅうさんじゅつ)」という古代中国の数学書(すうがくしょ)が登場した。

「九章算術」を、独自の「和算(わさん)」として発展(はってん)させた人が、「関孝和(せきたかかず)」だったのです。

%e9%96%a2%e5%ad%9d%e5%92%8c_takasakiwasan-web-fc2-com(切手:関孝和_takasakiwasan.web.fc2.com)

独自の「和算」として発展していったにも関わらず、「和算」は世界的にみても、とてもレベルの高いものだったのです。

彼は「筆算(ひっさん)」による代数(だいすう)の計算を発明した人物なのです。

また、円周率(えんしゅうりつ)の、π(ぱい)を少数第11位まで算出した人でも知られています。

○関孝和とはどんな人だったの?

孝和が生まれた歳や場所は、はっきりしていないようです。

1640年頃生まれは、上野国藤岡(うえののくにふじおか)で、現在の群馬県藤岡市(ぐんかけんふじおかし)か、江戸(えど)の2説があります。

www-dan-b-com(写真:www.dan-b.com)

孝和の家が断絶し、彼は若くして関家(せきけ)の養子(ようし)となっている。

このことが、彼の出処(しゅっしょ)をはっきりしない理由でもあった。

彼は、江戸時代初期の「和算家(わさんか)」でもあった吉田光由(よしだみつよし)の、「塵劫記(じんこうき)」を独学(どくがうく)で勉強(べんきょう)し、さらに高度(こうど)な数学(すうがく)を学ぶようになる。

%e5%90%89%e7%94%b0%e5%85%89%e7%94%b1_ja-wikipedia-org(絵:吉田光由_ja.wikipedia.org)

塵劫記(じんこうき)とは、人々が普段(ふだん)の生活に必要な計算方法(けいさんほうほう)などを、「さし絵」を使って分かりやすくした数学の本です。

%e5%a1%b5%e5%8a%ab%e8%a8%98_sechin-blog-shinobi-jp(本:塵劫記_sechin.blog.shinobi.jp)

江戸時代の人々に、長い間大人気となったこの本を使い、彼はめきめきと数学の力を伸ばしていったのです。

やがて成長した彼は、甲斐国甲府藩(かいのくにこうふはん、今の山梨県)に、役人(やくにん)として仕(つか)えることになる。

それから彼が亡くなるまで、和算の発展(はってん)に尽力することになったのです。




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○関孝和は「筆算」を考えた人物でも有名!

私たちは、足し算などの計算をするとき、計算機(けいさんき)がなければ、紙に書いて計算する「筆算(ひっさん)」を行います。

関は、現在でも小学校の算数でも使われている「筆算(ひっさん)」を考えた人なのです。

%e6%b4%bb%e7%94%a8%e7%ae%97%e6%b3%95_toyokeizai-net(写真:活用算法_toyokeizai.net)

さらに、筆算によって難(むずか)しい計算(けいさん)が解(と)けるようになったことから、円の面積(めんせき)を計算するときに使う「円周率(えんしゅうりつ)」も、正しく計算したのです。

%e5%86%86%e5%91%a8%e7%8e%87_www-nikkei-com(写真:円周率_www.nikkei.com)

彼は1981年頃、古代から伝わる円周率(えんしゅうりつ、πぱい)を11桁(けた)まで算出(さんしゅつ)しているのです。

関はこのような発見をして、和算を大きく発展していくのです。

今では、足し算、引き算、掛け算、割り算でも、筆算を使って計算できるようになっています。

関は「からくり時計」を、1カ月もかけて修理した逸話(いつわ)があるのです。

blog-livedoor-jp(写真:blog.livedoor.jp)

江戸城(えどじょう)に、中国・唐(とう)から伝えられた「からくり時計(とけい)」がありました。

時間(じかん)がくると、人形(にんぎょう)が鐘(かね)をついて、時を教えてくれるというもの。

この「からくり時計」が、ある日こわれてしまいます。

当時部品がなく、誰もこの「からくり時計」を直すことができなかったのです。

その噂(うわさ)を聞いた関は、その時計を持ち帰って分解(ぶんかい)し、1カ月以上かけて修理してしまったのです。

関孝和という人物は、自分の力で分からないことを、どんどん解決していく人だったのです。

○まとめ

・数字を扱う学問を「数学」と言う。

・江戸時代日本では「和算」という、独自の数学が発達した。

・関孝和が生まれた歳や場所は、はっきりしていない。

・彼は、江戸時代初期の「和算家」でもあった吉田光由)の、「塵劫記」を独学で勉強する。

・彼は、現在でも小学校の算数でも使われている「筆算」を考えた人である。

・彼は1981年頃、円周率を11桁まで算出している。




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