日本の自家用車時代を切り開いた「スバル360」
戦後、もとの生活を取り戻そうと、国民みんなでがんばった時代。
そして高度経済成長の時代が到来し、日本人の生活は豊かになりつつあったのです。
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生活が豊かになり、家族で出かけるために車を欲しがる人たちが、たくさんあらわれるようになった。
しかし、当時の日本は今のように誰もがマイカーを持てるほど豊かではなく、自家用車を持てるようなお金持ちは外国車に乗っていた。
○一家に一台持てる車の誕生!
当時の日本はタクシーが主流で、庶民の足はトラックやオート三輪が上限だったのです。
かわらしい外観から「てんとう虫」という愛称(あいしょう)で呼ばれた車「スバル360」が登場したのは、そんな時代でした。
(写真:スバル 360_goin.jp)
小さくても家族4人が十分に乗れる広さと性能を持ち、しかも手ごろな値段で買えた車は、たちまち当時の日本人に大人気となった。
「かぶと虫」の愛称で知られたフォルクスワーゲン・タイプ1の対比として、軽快なデザインから「てんとう虫」の愛称で国民に広く親しまれていった。
スバル360は、富士重工業(スバル)が開発した軽自動車で、1958年~1970年まで13年間に渡り、約39万2000台が生産された。
それでも、1958年に発売され価格は365,000円だった。
当時の大卒の初給が140,000円位だったので、給与の約3ヶ月分したことになります。
当時スバル360が登場したことで、一家に一台車を持つことができるようになったのです。
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○限られたスペースを確保し斬新なアイデアが導入された!
1955年、日本政府は「一般の家庭でも買えるような手頃な価格で、小型でしかも高性能の車」という方針を打ち出していた。
とはいえ、その頃の日本はあまり道は舗装されておらず、道は悪く、特に険しい山道を故障せずに走るというのは、とても困難(こんなん)なもであったのです。
そんな中、富士重工業(スバル)の技術者たちは、難しい課題に挑戦したのです。
技術者の中には、戦前日本に存在していた「中島飛行機(なかじまじひこうき)」の会社で、飛行機の開発をしていた人が、たくさんいました。
(写真:中島飛行機発祥_www.ne.jp)
わずか356ccという、小さくて馬力の少ないエンジンでも、車を軽くすれば乗り心地はよくなり、性能も高くなる。
そこで、軽くても丈夫なボディーをつくり、更に4本のタイヤを別々に上下に動かすことで、でこぼこな道でも振動を吸収できる技術を盛り込んだ。
また限られたスペースで必要な居住性を確保するため斬新なアイデアが多く導入された。
(写真:スバル360_www.katomotors360.com)
その結果、量産型(りょうさんか)の軽自動車として史上初の大人4人の乗用(じょうよう)を可能にし、当時の水準を超える走行性(そうこうせい)を実現したのです。
そして1958年3月3日に、小さくても日本の自動車業界を大きく変えた乗用車「スバル360」が誕生したのです。
スバル360は、1958年から1970年の13年間の間で39万2000台がつくられる大ヒットモデルとなった。
(写真:スバル 360 ヤング SS_www.hasegawa-model.co.jp)
今の車よりも小さくて馬力もない車でしたが、日本人の大きな夢をのせ、日本中の道を走りまわっていたのです。
○まとめ
・戦後、マイカーを持てるほど豊かな暮らしではなかった。
・かわらしい外観から「てんとう虫」という愛称(あいしょう)で呼ばれた車「スバル360」が登場した。
・スバル360は、富士重工業(スバル)が開発した軽自動車である。
・それでも、1958年に発売され価格は365,000円だった。
・限られたスペースで必要な居住性を確保するため斬新なアイデアが多く導入された。
・量産型(りょうさんか)の軽自動車として史上初の大人4人の乗用(じょうよう)を可能にした。
・スバル360は、1958年から1970年の13年間の間で39万2000台がつくられる大ヒットモデルとなった。
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