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日本の自動車の評価を大きく変えた日産「フェアレディZ」の誕生

皆さん、日本でかっこいいスポーツカーって何かご存じでしょうか。

第二次政界大戦が終わってから、日本の自動車産業は大きく発達していきました。

戦後しばらくしの間、海外では日本の自動車は、値段が安く、性能が低く壊れやすい。また車のスタイルもよくないと「二流品」のレッテルをはられていたのです。




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今では日本の自動車は世界に通じる安くて燃費のいい車として人気があります。

1969年に登場した一台の自動車が、そんな評価を一気に変えてしまったのです。

それが「フェアレディZ」だったのです。

(日産:フェアレディZ _出典:日産)

日産自動車が開発したスポーツカーで、今でも「世界一売れたスポーツカー」として記録を持っています。

今では、日本のスポーツカーで伝説の自動車なのです。

この「フェアレディZ」で「フェアレディ」の名前の由来として、1964年製作のアメリカのミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」で、当時の日産の川又社長が、その映画に感銘を受けて、付けられたされています。

(「マイフェア・レディ」_出典:Machinakaの日記)

「Z」は、アルファベットの最後の頭文字で、「究極」を意味してと言われている。

日本では、警視庁のパトカーにも「フェアレディZ」が採用され、高速隊などに配備されています。

(警視庁・パトカー_出典:オートックワン)

○かっこいいスポーツをつくることが夢だった!

1960年代、アメリカ日産の片山豊社長は、アメリカ本土で日本の自動車が全く売れない状況に、悩んでいた。

(片山豊社長_出典:Gigazine)

片山は、これまでの日本車とは全く違う、かっこよく、高性能でこわれにくい、スポーツカーが必要と考えていた。

そのことを、日本の日産本社に何度もかけあっていた。

片山と同じ考えを持っていた日本の日産社内でも、かっこいいスポーツカーをつくりたいと考えるようになっていったのです。

自動車デザイナーや技術者はたくさんいたので、そういう声に押され、ついに「Z」の開発がスタートすることになった。




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○日産の技術と努力で「フェアレディZ」が誕生した!

当時日産の片山社長は、アメリカ市場のニーズを見据えて明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、「ジャガー・Eタイプ」のような車をつくるように要望した。

スポーツカーをつくるにおいて、まずこだわったのが、デザインでした。

デザイナー・松尾良彦(まつおよしひこ)は、日本刀をイメージした、鋭さの中に美しさを秘めたスタイルを目指していた。

そうして仕上げたデザインを、今度は自動車の形に仕上げていくわけですが、ここでもさまざまな問題があったのです。

美しいデザインをとるか、人が乗り降りしやすさのために、車の高さを10センチメートル上げるか悩んでいました。

また美しいデザインを実現するために、ライトの周りに当時使われていていなかったプラスチックの素材を使用してみたり、試行錯誤が続いた。

そうして試作車が出来あがり、実際に走らせてみると、さまざまな問題もあったのです。

中でも車体の重量は重要で、車体を軽くするために50キロも軽くする必要がありました。

こうして、さまざまな問題を解決して完成した「Z」は、1970年にアメリカでも「ダットサン240Z」として発売されたのです。

(ダットサン240Z_出典:海外の万国反応記@海外の反応)

美しいデザインに、スポーツカーとしての十分な性能、さらに当時人気だった、ドイツやイギリスのスポーツカーの価格のほぼ半額で売り出していました。

「あなた方のためのスポーツカー」という宣伝文句で売りに、大ヒットとなった。

これまでの日本の自動車のイメージを払しょくするように、日本の車は「値段が安く、性能は高く、こわれにくい」というイメージへと変わっていったのです。

スポーツカーでありながら、荷物スペースはスペアタイヤ2個分という、スポーツカーとしては、非常に大きな容量を確保しています。

(フェアレディZ・出典:スペース_オートックワン)

アメリカのスーパーマーケットで購入する「一週間分の食料」の積載を考慮したものであったと言われています。

今では日本の自動車は、そのように評価をされ、世界中の路を走りまわるようになっていったのです。

その成功への道は、アメリカという巨大な自動車社会に挑戦し、成功した「Z」が切り開いたといってもいいのです。

○まとめ

・戦後、海外では日本の自動車は、値段が安く、性能が低く壊れやすい。また車のスタイルもよくないと「二流品」という評価だった。

・そんな中で、1969年に登場した日産の「フェアレディZ」が、そんな評価を一気に変えてしまった。

・日産自動車が開発したスポーツカーで、今でも「世界一売れたスポーツカー」として記録を持っている。

・「フェアレディZ」の名前の由来として、アメリカのミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」で、当時の日産の川又社長が、付けられたされている。

・「Z」は、アルファベットの最後の頭文字で、「究極」を意味してと言われている。

・日本では、警視庁のパトカーにも「フェアレディZ」が採用され、高速隊などに配備されている。




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