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西遊記で知られる三蔵法師のお供した孫悟空・猪八戒・沙悟浄は本当にいたの?

西遊記のモデルとして「三蔵法師」は、実在した人物なのか?
また、西遊記に出てくる妖怪、孫悟空(そんごくう)猪八戒(ちょはっかい)沙悟浄(さごじょう)は実際いたのでしょうか。




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「西遊記」は、中国で16世紀の明の時代に大成した伝奇小説である。
僧侶である「三蔵法師」が、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を共に従え、幾多の試練を乗り越え、インドの「天竺(てんじゅく)」までお経を取りに行くという物語である。

(西遊記_出典:楽天ブログ)

「天竺」は、今のインドににあたり釈迦如来がいるところとされ、蓮が咲き乱れ、大勢の修行僧がいてとても美しい場所であると言われている。

この西遊記は、唐の時代にありがたい経典(けいてん)を持ち帰った、三蔵法師がの長年の旅を題材として、「大唐西遊記」を基に、道教、仏教の天界に仙界、神や妖怪や仙人など、虚実として一大伝奇小説とした物語となったのである。

「西遊記」の流行を受けて、明時代から唐時代にかけて、仏教と道教に関わる戯曲・雑劇と神話伝説にもとに、「東遊記」、「南遊記」、「北遊記」がつくられ、「四遊記」と言われている。

今や「西遊記」は、世界中で映画、ドラマなどでを見ることができる。
昔、夏目雅子さんが三蔵法師役で、西遊記のドラマがあった。
このドラマで、三蔵法師は女性というイメージが強くなっているが、実際にところ、三蔵法師は男性である。

○「西遊記」のモデルとなった三蔵法師

602年、中国で「西遊記」の主人公のモデルとなった「玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)」が生まれた。

(三蔵法師_出典:知恵の雫)

この時代の中国は、仏教がインドから伝えられていた。
けれど、中国の人々が知らない「お経」は、まだあたくさんあった。

玄奘三蔵は、13歳のときに、出家してお坊さんとなった。
三蔵は仏教を熱心に学んだ。仏教を学べば学ぶほど、「もっと仏教を知りたい、自分の知らないお経を学びたい」と思うようになっていった。

そこで三蔵が28歳のとき、自分の足で、仏教が伝わってきたインドに行ってみようと、中国を出発した。




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○多くのお経を持ち帰った三蔵法師

中国からインドに行くのは、当時はとても大変なことであった。
今のように車や電車、飛行機など無い時代。それに道中は高い山や広い砂漠もあり、盗賊や山賊などもいて、とても危険だった。

このときの中国は「中国に住む人が、無断で国の外に出てはいけない」という決まりがあった。

それでも三蔵法師は、ありがたいお経を勉強するために、国をそっと抜け出し、インドへ向かった。

途中の道では、砂漠でのどが渇いたり、山道ですべってけがをしたり、病気になって倒れたり、盗賊や山賊に襲われることもあった。

それでも、なんとか無事に旅を終えて、ついにインドにたどり着くことができたのである。

インドに着くと、国中を周ってたくさんのお経を読み、仏教を学んだ。

やがて645年、三蔵法師はたくさんのお経をおみやげにして、中国に帰ってきた。旅は16年間もかかったと言われている。

中国をそっと抜け出した三蔵法師であるが、帰ってくると、みんなで無事を祈って、祝福したのである。

その後、死ぬまで19年間、持ち帰った1335巻もあるお経を中国語に「翻訳」する仕事に精を出して、人々のために生きた。

こうして中国の人々は、三蔵法師のおかげで、仏教についてよく知ることができるようになったのである。

三蔵法師が無事にインドから戻ったことが奇跡であり、三蔵法師にはお供する者もいたのではないかということで、「西遊記」が生まれたのである。

○まとめ

・「西遊記」は、中国で16世紀の明の時代に大成した伝奇小説である。

・「天竺」は、今のインドににあたり釈迦如来がいるところとされ、とても美しい場所であると言われている。

・三蔵法師がの長年の旅を題材として、「大唐西遊記」を基に、「西遊記」の小説が生まれた。

・中国で「西遊記」の主人公のモデルとなった「玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)」である。

・三蔵が28歳のとき、インドへ行き、ありがたいお経を持ち帰った。

・旅は16年間もかかったと言われている。




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