喜劇王でありながら独裁者を演じたチャプリン!
チャプリンというと、人を笑わせる天才として世界中に知られている人物である。
喜劇とは、演劇や映画などを観て、人が笑ったり楽しんだりするものある。
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そんなチャプリンであるが、唯一喜劇とはかけ離れた、映画をつくっている。
それが、チャプリンの「独裁者」という映画である。
(チャップリンの独裁者_出典:blog.livedoor.jp)
この映画は1940年にアメリカで公開された映画で、チャプリン本人が監督、製作、脚本、主演を務めている。
当時ドイツではヒトラーが独裁政治をして、ヨーロッパにおけるユダヤ人を迫害していた時代。
そんなユダヤ人の苦境をコミカルに生々しく描いた映画で、アメリカで公開された。
しかし当時のアメリカは、ドイツが世界を巻き起こした第二次政界大戦とは無縁であり、この映画は無縁の内容であった。
この「独裁者」は、チャプリンの作品の中で最も商業的に成功した作品として映画史の中で記録されている。
尚、アカデミー賞では、作品賞、主演男優賞、助演男優賞、脚本賞、作曲賞など数々の賞を受賞した作品である。
○チャプリンは人を笑わせる天才だった!
かつて「喜劇王」と言われ、とても人気のあったスターがいた。
それが「チャールズ・チャプリン」(Charlie Chaplin)、イギリス出身の映画俳優、映画監督、脚本家、コメディアンでもある。
チャプリンは、イギリスの首都ロンドンで生まれ、彼の生まれた故郷は小さな町で貧しかった。
(若いころのチャップリン_出典:livedoor Blog)
5歳のときには父親が死に、お金がなくて学校にも行けなかった。
それでも、チャプリンは人を笑わせたりすることが好きで、7歳のときに小さな劇団の入り、団員として地方を旅してまわった。
チャプリンがいろいろな劇団に入り、芝居をしている。
そしてチャプリンが17歳のときに、「フレッド・カルノー」一座の劇団に入ることになった。
カルノー一座は、1910年にアメリカで舞台を行った。
そのとき、たまたま舞台を観にきていた「マック・セネット」という人物が、チャプリンの舞台を観て「こいつはおもしろい」と思うようになった。
(マック・セネット – 出典:Wikipedia)
セネットは、喜劇映画を製作するために、チャプリンに「映画に出てみないか」と声をかけた。
彼は、チャプリンに「今の劇団の3倍の給与を出すよ」と誘ったのである。
チャプリンはその誘いを受けることになった。
こうして、1914年に「成功あらそい」という映画で、俳優デビューを果たしたのである。
(チャップリン_出典:立誠シネマプロジェクト)
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○チャプリンの演劇に込めたメッセージ!
人を笑わせて舞台を成功させたチャプリンは、アメリカでも人気になるためには、どうすればいいのか考えていた。
そこで思いついたのが、おもしろいキャラクターを演じようと、考えた。
チョビひげをはやし、頭には山高帽をかぶり、ステッキを持って、だぶだぶのズボンとドタぐつを履いた、奇妙な紳士として。
これが、私たちがよくみるチャプリンの姿であった。
(charlie-chaplin-出典:1925-everett)
おっちょこちょいで、よくヘマをしてしまう。
そしてまわりの人にあきれさせたり、怒らせたりしては、チョコマカと逃げ回る。
そのなチャプリンの映画を観た人たちは、その様子に大喜びし、チャプリンのファンも多くなっていった。
チャプリンは映画で、大金を手にすることができたが、子どもの頃に育った貧しい町と、貧しい人々を忘れなかった。
そのため、貧しい人や何度も失敗している人が、がんばって成功する映画をつくって、人々を感動させ、勇気を与えた。
世界が戦争に巻き込まれたときは、戦争に反対する映画をつくり、世の中にさまざまな機械が登場して生活が便利になったとき、人々が機械の奴隷になってしまう、そんな映画をつくるなど、映画を観た人が考えさせられるような、名作を数多く残している。
あなたも喜劇のチャプリンの映画を観て、人の本当の幸せを考えてみては、いかがでしょう。
○まとめ
・チャプリンというと、人を笑わせる天才である。
・チャプリンであるが、唯一喜劇とはかけ離れた、映画「独裁者」を製作している。
・「独裁者」は、「ユダヤ人の苦境をコミカルに生々しく描いた映画である。
・チャールズ・チャプリンは、イギリス出身の映画俳優、映画監督、脚本家、コメディアンである。
・貧しい人や何度も失敗している人が、がんばって成功する映画をつくって、人々を感動させ、勇気を与えている。
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