知って得する雑学集

知って得する雑学の知識を提供

レースに情熱をささげたエンツォ・フェラーリ!

F1レースで知られる「フェラーリ」というと、「スーパーカー」で速い車であるということは、何となく想像がつく。





スポンサードリンク


「スーパーカー」というと車は、走るためだけにつくられ、パワーがあって、スピードが出て、カッコよく値段が高い。

そんなイメージを持たれていることでしょう。

そんなスーパーカーをつくっている会社の中でも有名なのが、イタリアの「フェラーリ」である。

(フェラーリ_モビー)

フェラーリは、イタリアのマラネッロに本社を置く自動車メーカーでで、F1レースなどモータースポーツを行っている。

そんなフェラーリを創設したのが、レーシングドライバーであった「エンツォ・フェラーリ」である。
彼は1929年にレース仲間とともにフェラーリを創設した。

またフェラーリと肩を並べているのは、「ランボルギーニ」で、これもイタリアの自動車メーカーで、F1レースなどでも活躍している。フェラーリの拠点と直線距離で20kmしか離れていないという。

(ランボルギーニ_東洋経済オンライン)

○速く走るためだけに生まれたフェラーリ

とにかくフェラーリは速く走ることに重点をを置いた車であるので、一般の人には到底手が出るものではない。

(フェラーリ _Idea Web Tools)

フェラーリは、レース活動するための資金を集めるなどでつくられ、販売されている。

普通、自動車メーカーがレース活動するのは、自分の会社でつくった車を宣伝するためとか、レースのために開発された技術を提供するのがほとんどである。

フェラーリは、レース活動するために、自動車をつくり続け、フェラーリがここまでレースにこだわる理由でもある。

このフェラーリの会社をつくったのが「エンツォ・フェラーリ」という人で、レースに一生をささげた人物である。




スポンサードリンク

○エンツォ・フェラーリとはどんな人だったの?

イタリアで生まれたエンツォは、子どもの頃からモータースポーツが大好きな少年だった。

18歳の頃、エンツォは父を病気で、兄も戦争で亡くしている。
エンツォ自身も、戦争に出兵して、そこで病気にかかって死にかけているという、つらい経験をしている。

そしてエンツォは、一度きりの人生を、自分の大好きな車に捧げようと決意した。

エンツォはそれから、イタリアのアルファ・ロメオという自動車メーカーに入社し、ドライバとしてレース活動を始める。

(エンツォ・フェラーリ_blog.goo.ne.jp)

1929年には、アルファ・ロメオに身を置きながら「スクーデリア・フェラーリ」というチームをつくり、自動車の開発など、レースのために力を注いだ。

そして1947年、エンツォがアルファ・ロメオを退社し、それから亡くなるまでの間、自分のチームで開発した車で、自動車レースの最高峰「F1」などで挑戦を続けた。

エンツォは、販売する自動車であっても、レース用の車であっても、とにかく「自分の名前をつけた車は、パワーがありエンジンこそが全て」と考えていた。

また「車とは美しく速いものであるべき」このような徹底した考え方によって、フェラーリは市販車でもレース活動でも、世界中で多くのファンに支持されているようになった。

地元イタリアでは、今も「モータースポーツ界の神」と讃えられているほどである。

エンツォは、モータースポーツ界と自動車界に大きな貢献をしたことで、今でもたくさんの人に尊敬されている。

○まとめ

・スーパーカーをつくっている会社の中でも有名なのが、イタリアの「フェラーリ」である。

・そんなフェラーリを創設したのが、レーシングドライバーであった「エンツォ・フェラーリ」である。

フェラーリと肩を並べているのは、「ランボルギーニ」で、これもイタリアの自動車メーカーで、F1レースなどでも活躍している。




スポンサードリンク

 - 世界の偉人, 偉人