地動説を説いた天文学者「ガリレオ・ガリレイ」とはどんな人物だったの?
地球が自転(じてん)して地球が動いていることは、当然皆さんは知っていることでしょう。
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15世紀ごろまでは、宇宙の中心は地球であり、その周りの惑星や太陽が地球を中心に周っているという「天動説(てんどうせつ)」が主流となっていた。
この「天動説」を唱えたのが「コペルニクス」で、キリスト教の考え方でもあった。
そんな天動説が主流(しゅりゅう)であった時代に、宇宙の中心は太陽であり、地球は他の惑星(わくせい)とともに、太陽の周りを自転しながら公転(こうてん)しているという「地動説(ちどうせつ)」を唱えた人物がいた。
それが、イタリアの物理学者であり、天文学者でもある「ガリレオ・ガリレイ」である。
ガリレオは、「ピサの斜塔」から重いものと軽いものを同時に落として、どちらが先に落ちるか実験をしている。
(写真:ピサの斜塔_Wikipedia)
この実験で、「二つの重さの違うボール」をいっしょに落とした。
その結果二つのボールは、「同時に地面に落ちる」ことを実験により証明した人物なのです。
○ガリレオはどんな人だったの?
ガリレオ・ガリレイは、1564年トスカーナ大公国領(だいこうこくりょう)のピサで生まれている。
(地図:トスカーナ大公国領_Wikipedia)
トスカーナ大公国領は、16世紀から19世紀にかけて北イタリアで実際存在した国家である。
ガリレオは大学に進み、そこで医学、数学、物理学を学び、大学の先生になった。
そこで、さまざまな科学に関する実験を行い発見をしている。
ボールの実験でわかった「落体に法則(らくたいのほうそく)」もその一つだったのです。
(図:落体に法則_研究者かみざとのブログ)
その他に、今では当たり前に知られている、「太陽には黒点(こくてん)がある」、「月にはクレーターがある」、「金星が月のように満ち欠けする」といったことを、いくつも発見している。
15世紀ごろまでは、太陽や星が毎日東から昇り西に沈むのは、「太陽が地球の周りを周っているから」だと考えられていた時代。
これを「天動説(てんどうせつ)」という。
(図:天動説_web-box.jp.png)
ガリレオは、いろいろな実験で発見をしていくうちに、「天動説」では、説明できないことに気づくのである。
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○「それでも地球は動いている」
古くはアリストテレスの時代からコペルニクスが登場する16世紀までは、地球は宇宙の中心であり、まわりの惑星が動いるという「天動説」が主流(しゅりゅう)であった。
(肖像画:ニコラウス・コペルニクス_Wikipedia)
しかしながら、月に関しては他の天体とは異なり、地球の周りを周っている。
当時「地動説(ちどうせつ)」を人々に公表することは、とても勇気のいることだった。
(図:地動説_web-box.jp)
例えそれが正しいことであっても、世間一般に知られていること、信じられていることに反することを言うことは、命に関わることでもあった。
聖書に書かれている「地球誕生」には、「神が地面と空を創造した」という、キリスト教の考え方に合わなくなってしまうからである。
それでも地動説を主張し続けたガリレオは、やがて教会に呼び出され、宗教裁判にかけられることになる。
(絵画:ガリレオ裁判_Nagaitoshiya.com)
そして2回目の裁判で、ついにガリレオは自分が間違っていたことを、無理やりに言わされてしまい有罪となってしまった。
そのときに、ガリレオは裁判の後に「それでも地球は動いている」と、有名な言葉を残している。
今では、その考え方は誰もが正しいと知っていることですが、当時はガリレオの主張は結局は認められることはなかったのです。
自分の考えが正しいと信じることを曲げずに貫(つらぬ)く、ガリレオのそんな気持ちが、今の科学の発展につながっていると信じている。
○まとめ
・15世紀ごろまでは、「天動説(てんどうせつ)」が主流となっていた。
・「天動説」を唱えたのが「コペルニクス」で、キリスト教の考え方でもあった。
・「地動説」を唱えた人物が、イタリアの物理学者であり、天文学者でもある「ガリレオガリレイ」である。
・ガリレオは、「ピサの斜塔」から重いものと軽いものを同時に落として、どちらが先に落ちるか実験をしている。
・その結果二つのボールは、「同時に地面に落ちる」ことを実験により証明した人物である。
・そのほか「太陽には黒点がある」、「月にはクレーターがある」、「金星が月のように満ち欠けする」といったことを、いくつも発見している。
・地動説を主張し続けたガリレオは、やがて教会に呼び出され、宗教裁判にかけられることになる。
・ガリレオは裁判の後に「それでも地球は動いている」と、有名な言葉を残している。
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