知って得する雑学集

知って得する雑学の知識を提供

経営の神様と言われた「松下幸之助」日本の未来の道をひらく!

皆さん「松下幸之助」という人物はご存じだろうか。

旧社名は松下電器産業(株)で、今では「パナソニック」と社名となっている、その創業者である。





スポンサードリンク


松下幸之助は一代で会社を築き上げ、「経営の神様」と言われ、彼の人生を書き下ろした「道をひらく」の本は、昭和43年発刊以来、累計400万部を超える、ロングベストセラーとなっている。

(道をひらく_Amazon)

しかし、彼は唯一「パソコン(コンピュータ)」という物を理解できなかった、彼は自分が生きている間は、コンピュータ業界に進出を避けていたという話もある。

彼が亡くなり「パナソニック」という社名に変わり、「パソコン」事業に乗り出した。しかし、当時NEC、富士通、シャープが既に大きなシェアを獲得していた。

もし、松下電器がこの産業に早いうちに乗り出していたら、パソコン業界も大きく変わったのではないかと言われている。

○「松下幸之助」はどんな人だったの?

「松下電気器産業株式会社」(現在のパナソニック)を創業した松下幸之助は、和歌山県で父は米相場で財を成し、とても裕福な家庭に生まれる。

ところが幸之助が子供のころ、父が米相場で失敗、小学校を中退し、9歳で大阪の自転車屋に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出ることになった。

(松下幸之助 創業者物語_d.hatena.ne.jp)

そんな幸之助は、くじけることなく、働きながら商売の術(すべ)を学んでいくことになる。

15歳の頃、幸之助は大阪の町を走り始めた、路面電車(市電)を目にし、とても驚いたという。

(鉄道ホビダス)

電気で走る路面電車をみて、「電気は世の中をこんなに便利にするのか!これからは電気の時代だ」と思うようになっていった。

その後、幸之助は「大阪電灯」の会社に入社し、電気工事技術を身につけていく。

幸之助は会社で出世していき、「電気で世の中をもっと便利にしたい」という想いは、ますます強くなっていった。

1918年ついに幸之助は独立し、「松下電気器具製作所」という会社を始めた。後の松下電器産業のはじまりである。

(松下電気器具製作所)

独立してからもしばらく苦労が続いたが、幸之助が発案した「二股ソケット」は、飛ぶように売れるようになった。

(二股ソケット_ミドルエッジ)

それから自転車用の高性能なランプなど、次々とヒット商品を発売し、会社は成長していった。

幸之助は1927年に、「国民のために製品をつくろう」という思いを込めて、「ナショナル」という商標名を使うことになる。

(ナショナル)

この商標名は、後に世界のブランドしては、使うことができなくなったため、海外では「パナソニック」という会社名で売ることになった。
後に日本でも「パナソニック」という社名に変更している。

(パナソニック_re-fo.net)

○松下は「経営の神様」と呼ばれるようになる!

幸之助は「松下電器をつくる会社です。あわせて電気製品をつくっています。」という言葉を残している。

これは幸之助が松下電気器具製作所を創業したときに残した言葉である。

幸之助は、会社の目先の利益よりも、会社で働く人たちが豊かになること、そして会社全体が豊かに成長していくことを第一に考えて、経営を行っていた。

そしていつしか幸之助は「経営の神様」と呼ばれるようになっていった。

やがて第二次世界大戦が終わり、日本は高度経済成長を迎える。
松下電器はたくさんの家電製品を安く販売していった。

それから人々の暮らしは、どんどん豊かで便利なものになっていった。

幸之助は路面電車で電気の便利さを知り、「電気で世の中をもっと便利したい」という、願いが現実になっていった。

1989年に幸之助は亡くなったが、彼の考えは、今も会社経営や政治家など、多くの人に影響を与えている。




スポンサードリンク

○松下幸之助の名言・格言

経営の神様と呼ばれている松下幸之助は、名言や格言を多く残している。その一部をご紹介します。

失敗の多くは、成功するまでに
あきらめてしまうところに、
原因があるように思われる。
最後の最後まで、
あきらめてはいけないのである。

石の上にも三年という。
しかし、三年を一年で習得する努力を
怠ってはならない。

すべての人を
自分より偉いと思って仕事をすれば。
必ずうまくいくし、
とてつもなく大きな仕事ができるものだ。

 

現在与えられた今の仕事に
打ち込めないような心構えでは、
どこの職場に変わっても
決していい仕事はできない。

 

とにかく、考えてみることである。
工夫してみることである。
そして、やってみることである。
失敗すればやり直せばいい。

 

どんなに悔いても
過去は変わらない。

どれほど心配したところで、
未来もどうなるものでもない。
いま、現在に
最善を尽くすことである。

人の心は、
日に日に変わっていく。
そして、人の境遇もまた、
昨日と今日は同じではないのである。

悪い時が過ぎれば、
良い時は必ず来る。
おしなべて、
事を成す人は必ず時の来るのを待つ。
あせらずあわてず、
静かに時の来るのを待つ。

人類の生命は無現。
だからその未来は無現。
だから、まだまだお互い
進歩しなければならないのである。

冷静ほど、
大事なことはないのである。

失敗すればやり直せばいい。
やり直してダメなら、
もう一度工夫し、
もう一度やり直せばいい。

知識がなくてもいいんや
熱心ささえ
誰にも負けなかったら
必ず道は開ける。

この道が果たしてよいのか悪いのか、
思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、
いま歩んでいるこの道、
ともかくこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられている
かけがえのないこの道ではないか。

それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿から必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

志を立てよう。
本気になって、真剣に志を立てよう。
生命をかけるほどの思いで志を立てよう。

志を立てれば、事はもはや半ばは
達せられたといってよい。

○まとめ

・「松下幸之助」は、旧社名は松下電器産業(株)で、今では「パナソニック」と社名となっている、その創業者である。

・松下幸之助は一代で会社を築き上げ、「経営の神様」と言われ、「道をひらく」の本は、累計400万部を超える、ロングベストセラーである。

・1918年ついに幸之助は独立し、「松下電気器具製作所」という会社を始めた。

・独立してからもしばらく苦労が続いたが、幸之助が発案した「二股ソケット」は、飛ぶように売れるようになった。

・幸之助は1927年に、「国民のために製品をつくろう」という思いを込めて、「ナショナル」という商標名を使うことになる。




スポンサードリンク

 - 偉人, 日本の偉人