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【憲法記念日】日本で最初の憲法はなに?

5月3日は憲法記念日にとなっていて国民の祝日として、ゴールデンウィークを構成する一つになっている。




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憲法が施行されたのでは1948年5月3日を記念として、国民の祝日となった。

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(イラスト:www.omiyakids.com)

それまでは、明治以降施行された「大日本帝国憲法」があったが、天皇主体の憲法となっていた。それから半世紀以上も憲法が改正されることはなかった。
それが憲法が改正され、新憲法では国民主体の憲法となった。

○日本で初めて憲法は何?

日本で初めての憲法は、今から1400年前の飛鳥時代にさかのぼる。

604年に「十七条の憲法」を制定している。

これをつくったのが、「聖徳太子」である。

旧紙幣の1万円札、五千札と1千円札に全てに描かれていた人物である。

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(写真:currencia.net)

この時代は、「氏姓制度」というものがあり、長い間使われていたが、憲法としてうたったものではなかった。

この「氏姓制度」は、個人にいくら能力があっても家柄が低ければ重要な仕事につくことはできないというものであった。

そこで聖徳太子は、603年「冠位十二階」という新たな制度をつくり、個人の力量や才能によって地位が決まるように改めている。

続いて制定されたのが「十七条の憲法」で、日本で最初につくられた法律とされている。

○「十七条の憲法」とは?

十七条の憲法は、箇条書きにした文章で、内容は官人の心得のようなものになっている。

十七条の憲法は、「和を似て貴しとなす」を基調としたものになる。
これは、十七条の憲法の第一条に出てくる言葉である。

意味は、「和を似て貴しとなす」とは、何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ。

「和」の精神とは、体裁だけ取り繕ったものではなく、自分にも人にも正直に不満があれば、お互いにそれをぶつけ合い、理解し合うということが本質にあるようだ。

憲法というより、倫理や心得を記したものとなっている。

○聖徳太子とは?

聖徳太子は、日本銀行券(お札)として昭和の時代に1万円札と5千円札および1千円札に描かれた人物である。

2004年の新札に変わるまでは、長くこれらのお札が使用されていた人物となっている。

聖徳太子は、用明天皇の第二皇子として、574年2月7日に誕生している。
聖徳太子は、結婚しており2人の子供もいる。

ja.wikipedia.org

(絵:ja.wikipedia.org)

本名は、厩戸(うまやど・うまやと)であり、厩戸の前で出生
したことによる伝説がある。

しかし没後100年を以上を経て、751年に「懐風藻」に初めて「聖徳太子」という名が登場している。

以降の書物では、厩戸という名の記載する書物がないため、正式には「聖徳太子」の名が一般的な呼称となっている。

イエス・キリストも馬小屋で出生したとして、イエスの生まれ変わりではないかということも言われている。

聖徳太子は、10人の人の意見を一度に聞きとることができたことは、有名な話である。

研究が進んだ今では、10人が順番に相談し、10人の話をきちんと聞いた後に、それぞれに助言をした、という説が有力になっている。

しかし10人の話をきちんと聞いて覚えているのは、大変なことである。




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○聖徳太子の偉業とは?

聖徳太子は、「十七条の憲法」の他に、お寺もいくつか建てており、中でも「法隆寺」は有名である。

kyo-tari.hatenablog.com

(写真:kyo-tari.hatenablog.com)

当時、倭国(日本)が隋(中国)の支配下に置かれないように、何度か隋に使者を送っている。

小野妹子が、隋(中国)に派遣されたのも、この時期ということになる。

小野妹子は第二回目の607年に派遣として隋に使わしている。

倭国から隋皇帝に宛てた書簡には、『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々』と書き出されていた。

それを見た隋皇帝は、大変ご立腹し、無礼な書物は今後私に見せるなといったそうで。

その後、小野妹子は返書を持たされて倭国(日本)に帰ったと伝えられている。

○聖徳太子の最期は?

父の用明天皇が死去して以来、覇権争いが絶えなくなった。

聖徳太子の死因については、日本書紀には、はっきりと書かれておらず、妻である刀自古郎女(とじこ の いらつめ)も同じ日に亡くなっていることから、毒殺されたのではないかと言われている。

聖徳太子の死後、息子である山背大兄王(やましろのおおえのおお)一族に対して、蘇我入鹿(そがの いるか)が総攻撃をかけている。

そんな中で、一族ともに自害に追い込まれて亡くなっている。

○まとめ

・5月3日は憲法記念日である。
・日本で最初につくった憲法は「十七条の憲法」である。
・「十七条の憲法」をつくったのは、「聖徳太子」である。
・聖徳太子の肖像は、旧一万円札、五千円札、千円札として使用されていた。
・聖徳太子は、隋(中国)に小野妹子を遣隋使として派遣している。
・聖徳太子の一族は毒殺や自害で最期亡くなっている。




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