インド独立の父「ガンジー 」の名言!許すとは強さの証
「弱い人ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ。」
皆さん、この言葉はご存じだろうか。
これは、インド独立の父として、非暴力・不服従で当時イギリスの植民地から独立を果たした「ガンジー」の言葉である。
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インドは12億人以上の人口を占める世界第2位の大国である。
そんなインドの人々から、「インド独立の父」と呼ばれて愛されたいる人物が、マハトマ・ガンジー(マハトマ・ガンディー)である。
(写真:iso-labo.com)
ガンジーは、計5回ものノーベル賞受賞候補に上がりながら、受賞には至っていない。
しかしガンジーの誕生日に、インドでは毎年10月2日に「ガンジー記念日」として、国民の休日となっている。
2007年に国連総会では、10月2日を「国際非暴力デー」として決議されている。
○マハトマ・ガンジーとはどんなに人?
ガンジーが生まれた頃のインドは、イギリスの植民地として支配されていた時代。
ガンジーは小学校時代は素行も悪く、悪友にそそのかされ、ヒンドゥー教の教えに背き、禁じられていた肉食を繰り返していた。
(写真:Young Gandhi_www.travelblog.org)
タバコにも手を出し、たばこ代を工面するために召使に金を盗むませることもあった。。
インドでは幼児婚の慣習により、13の若さで結婚もしている。
そんなガンジーであったが、18歳のときにイギリスに留学して法廷弁護士の仕事に就いている。
卒業後、1893年にはイギリス領であった南アフリカ連邦で弁護士として開業を果たす。
当時南アフリカはインドと同じように、イギリスの植民地となっていた。
ガンジー自身も、列車に乗ることができなかったり、白人の泊まるホテルにも宿泊できなかったりした。
彼は強烈な人種差別に反対し、法的権利を擁護(ようご)する活動に従事していた。
そして労働者たちに協力を呼びかけ、大規模なストライキを行っている。
こうしてガンジーは、それまでにはなかった「非暴力・不服従」(暴力に暴力で対抗することはせず、相手の無理な要求には従わない)という、抗議運動を行った。
南アフリカ政府に逮捕されながらも、22年間南アフリカでの滞在中に、「非暴力・不服従」で抵抗運動を続けた。
そんな彼の名は、やがて世界中に知られるようになっていった。
○ガンジー、インド独立を目指す!
1915年、ガンジーは祖国インドに戻っている。
1914年から始まった第一次世界大戦で、多くのインド人が、ヨーロッパでの戦争に参加していた。
ガンジー自身も救援部隊として戦地に赴(おもむ)き、救護活動を行うことになる。
しかし、インドの協力に対してイギリス政府は非人道的な態度をとった。
当時「ローラット法」という法の下において、インド人を裁判なしで刑務所に入れられる法律があった。
この法律は戦争中だけに使われるはずだったが、戦争後もこの法律は続いた。
これに対して、ガンジーはインド全土に呼びかけ、3億人の労働者が参加する大規模なストライキを起こした。
その後も、インドの独立が進まないことに抗議するため、イギリスのインドでの自由販売を禁止していた「塩」を、自分たちが作ったり、「塩の行進」をするなど、さまざまな抗議運動を行った。
(写真:ganref.jp)
こうしてインド独立を目指したインドは、1947年についにパキスタンと国を2つに分ける形で独立を果たした。
しかし翌年ガンジーは暗殺され、この世を去ってしまう。
ガンジーが唱えた非暴力・不服従の考え方は、今では最も大切なことである。
今でも平和を求める世界中の人たちに、影響を与え続けている。
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○ガンジーの名言!
ガンジーはインド独立を願い、人々に多くの名言を残している。
ここでいくつかの名言をご紹介する。
すべての人の目から
あらゆる涙を拭い去ることが
私の願いである。
もし、ただ一人の人間が
最高の愛を成就するならば、
それは数百万の人々の
憎しみを打ち消すに十分である。
見たいと思う世界の変化に
あなた自身がなりなさい。
最高の道徳とは
他人への奉仕
人類への愛のために働くことである。
善きことは
カタツムリの速度で動く。
束縛があるからこそ、
私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、
高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、
私は走れるのだ。
涙があるからこそ、
私は前へ進めるのだ。
我々の信念は、
常に燃え続ける
灯火でなければならない。
それは我らに
光明を与えてくれるだけでなく、
周囲をも照らしてくれる。
あなたの夢は何か、
あなたの目的とするものは何か、
それさえしっかり持っているならば、
必ず道は開かれるだろう。
生は死から生じる。
麦が芽吹くためには、
種子が死なねばならない。
その日にすることの決意を、
毎朝の最初に行いなさい。
○まとめ
・ガンジーはインド独立の父として、非暴力・不服従でイギリスの植民地をから独立を果たす。
・インドではガンジーの誕生である10月2日を「ガンジー誕生日」として、国民の休日となっている。
・国連では10月2日を「国際非暴力デー」の日となっている。
・ガンジーの幼少期はは素行も悪く、ヒンドゥー教の教えに背き、禁じられていた肉食を繰り返していた。
・ガンジーは13の若さで結婚もしている。
・卒業後、1893年にはイギリス領であった南アフリカ連邦で弁護士として開業する。
・彼は強烈な人種差別に反対し、法的権利を擁護する活動に従事
・ガンジーは、それまでにはなかった「非暴力・不服従」を行った。
・彼の名は、やがて世界中に知られるようになっていった。
・ガンジーは祖国インドに戻り、救援部隊として戦地に赴(おもむ)き、救護活動を行う。
・インドの協力に対してイギリス政府は非人道的な態度をとっていた。
・ガンジーはインド全土に呼びかけ、3億人の労働者が参加する大規模なストライキを起こした。
・インドは、1947年についにパキスタンと国を2つに分ける形で独立を果たした。
・翌年ガンジーは暗殺され、この世を去ってしまう。
・今でも平和を求める世界中の人たちに、影響を与え続けている。
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