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発明王で知られる豊田佐吉とはどんな人?

豊田佐吉(とよださきち)は、トヨタ自動車の創業者で知られる豊田喜一郎(とよだきいいちろう)の父で、実業家(じつぎょうか)で日本の発明王(はつめいおう)としても有名な人なのです。





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彼は生涯(しょうがい)で発明した特許(とっきょ)は84件、外国特許は13件、実用新案(じつようしんあん)は35件の発明をした、いわば発明王なのです。

豊田自動織機製作所(とよだじどうしょっきせいさく)を創業(そうぎょう)し、トヨタグループの創業者でもあります。

○豊田佐吉とは、どんな人?

豊田佐吉(とよださきち)は、父・伊吉(いきち)、母・ゑいの長男として、静岡県の大工の家に生まれる。

%e8%b1%8a%e7%94%b0%e4%bd%90%e5%90%89_www-toyota-shokki-co-jp(写真:豊田佐吉_www.toyota-shokki.co.jp)

父・伊吉は、百姓(ひゃくしょう)のかたわら生計(せいけい)を立てるために、大工(だいく)の仕事を行っていた。
佐吉もその大工の仕事を手伝っていた。

小学校を卒業(そつぎょう)した佐吉は、父のあとをつぐため、大工の修行(しゅぎょう)を始める。

佐吉は、大工の修行(しゅぎょう)の間に、新聞などを読み世の中の役に立つ仕事をしたいと思っていた。

そんなとき、佐吉は世界の発明家について書かれた本に出会うことになる。

世界の発明王として知られるエジソンやワットなど、世の中を便利にする発明をした人々に、とても感動(かんどう)を覚(おぼ)える佐吉であった。
佐吉は、「外国で使われているような便利な機械を、自分でもつくれるようになりたい」と思うようになり、発明家を目指すことになるのです。

大工の仕事をしながら、夜は本を読んで勉強する毎日。

そんなときに、日本で「専売特許条例(せんばいとっきょじょうれい)」が1885年につくられたのです。

この条例(じょうれい)は、ある人が発明(はつめい)したものについて、他の人が許可(きょか)を得(え)ずに勝手(かって)に、まねをしたりつくったりしては、いけないというものです。

佐吉は、工場を見学するため東京へ出かけたり、博覧会(はくらんかい)を見学したり、機織機(はたおりき)をつくるために研究していたのです。

○世界一の自動織機を完成させる!

佐吉は、ついに1890年に「豊田式木製人力織機(とよだしきもくせいじんりきしょっき)」を完成させ、特許(とっきょ)をとるのです。

blog-goo-ne-jp(写真:blog.goo.ne.jp)

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佐吉はさらに研究を続け、織機(しょっき)の改良(かいりょう)を進めます。

1970年には、「豊田式織機株式会社(とよだしきしょっきかぶしきがいしゃ)」を創設(そうせつ)します。

佐吉は、なんとか全自動(ぜんじどう)の織機(しょっき)をつくり出そうとしていたのです。

そして1925年、息子の豊田喜一郎(とよだきいちろう)と会社の人の力を借りて、ついに「G型自動織機(Gがたじどうしょっき)」という、当時世界一といわれる性能をもった機織機(はたおりき)を完成させる。

g%e5%9e%8b%e8%87%aa%e5%8b%95%e7%b9%94%e6%a9%9f_www-toyota-co-jp(写真:G型自動織機_www.toyota.co.jp)

この発明により、豊田の名は世界的に有名になったのです。




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○自動車メーカーへの挑戦

当時日本国内で走る車は、全て外国車ばかりであった。

佐吉は自動車にも興味(きょうみ)を持ち、いつか日本でも自動車をつくれるようになりたいと、思っていた。

佐吉は1930年に亡くなってしまうが、その息子の喜一郎にその夢を託(たく)されたのです。

%e8%b1%8a%e7%94%b0%e5%96%9c%e4%b8%80%e9%83%8e_ja-wikipedia-org(写真:豊田喜一郎_ja.wikipedia.org)

そして、現在トヨタ自動車や日本のメーカーがつくる自動車は、日本だけでなく、世界中で走るようになりました。

豊田佐吉の名は、トヨタグループの創業者として、今も語り継がれている。

○豊田佐吉の名言

豊田佐吉は、自分に対してもとても厳しい人でした。

そんな佐吉の名言をご紹介します。

仕事は人がさがしてくれるものではなく、
自分で身付けるべきものだ。
職は人が作ってくれるものではなく、
自分自身でこしらえるべきものだ。
それがその人にとっての、
本当の仕事となり、職業となる。

とにかくその心掛けさえあれば、
仕事とか職業とかは無限にあるといっていい。
わしの今日あるのは、天の心というものだ。
それなら、こちらも社会へ奉仕せにゃいかん道理だ。
誠実というその字を見ろ。
言うことを成せという言葉なんだよ。

 

男は、四の五のいらぬことを考える必要はない。
志を立てた以上、
迷わず一本の太い仕事をすればよい。

人間のやったことは、
人間がまだやれることの
100分の1にすぎない。

世の中の多くの人の為に、
またお国の為にと言う考えで
一生懸命に働いてゆけば、
食う物も着る物も
自然とついて来る。

いくら儲けたいの、
いくら儲けねばならんのと、
そんな横着な考えでは
人間生きてゆけるものではない。

金は借りやすいところから借りてはいかん。
慎重な貸し手は相手の人格を見て、
仕事の内容を検討する。

そんな人は、こちらが悪くなると
さらに金をつぎ込んでくれる。
その反対に、安易に金を貸してくれる人は、
こっちが一番金が欲しいときに返済を迫ってくる。

これはみな外国品ばかりではないか。
こんなことで日本の将来をどうする。

今に私は立派な国産品をつくって、
きっと外国品を追っ払ってみせる。

○まとめ

豊田佐吉は、トヨタグループの創業者で、発明しても有名である。

・豊田佐吉の発明した特許は84件、外国特許は13件、実用新案は35件の発明した。

・佐吉は、父のあとをつぐため、大工の修行を始める。

・大工の仕事をしながら、夜は本を読んで勉強する。

・佐吉は、機織機(はたおりき)をつくるために研究する。

・1890年に「豊田式木製人力織機」を完成させ、特許をとる。

・1970年には、「豊田式織機株式会社」を創設する。

・1925年、「G型自動織機」という、当時世界一といわれる性能をもった機織機を完成させる。

・佐吉は自動車にも興味を持ち、いつか日本でも自動車をつくれるようになりたいと、思っていた。

・佐吉は1930年に亡くなってしまうが、その息子の喜一郎にその夢を託された。




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