ビートルズ来日50周年!世界の音楽を変えた4人の伝説!
イギリスが生んだ「ビートルズ」は、あまりにも世界的にも有名で当時全英(ぜんえい)アルバムチャートで、年間売り上げ最高アルバムを獲得(かくとく)したグループなのです。
さらにアメリカなどの各国においても高い販売を記録(きろく)し、ギネスに最も成功したグループ・アーティストとして認定(にんてい)されている。
スポンサードリンク
今年、2016年は日本に来日して、50周年となっています。
ビートルズのメンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人である。
(写真:ent.smt.docomo.ne.jp)
ビートルズは1960年代に活躍したロックバンドで、1962年にレコードデビューし、1970年に事実上解散しています
母国イギリスでアルバム12作中、11作が全英アルバムチャートで週間1位を獲得し、その11作が162週で年間1位を獲得しているのです。
○デビューしてすぐに人気アイドルに!
1962年10月5日、20世紀の音楽を大きく変えた偉大なロック・バンドがデビューしました。
その名が「ザ・ビートルズ」なのです。
(写真:ザ・ビートルズ_osusume-beatles.com)
ギター、メインボーカルの「ジョン・レノン」、ベース、メインボーカルの「ポール・マッカートニー」、ギターの「ジョージ・ハリスン」、ドラムの「リンゴ・スター」の4人です。
イギリスの港町(みなとまち)リバーブルで生まれた彼らは、それぞれ十代の頃に楽器(がっき)の演奏(えんそう)をはじめています。
そんな中で知り合った、ジョンとポール、ジョージの3人は、1960年に「ザ・ビートルズ」を結成(けっせい)します。
それから1962年にリンゴ・スターがメンバーに加わり、最初のシングル「ラブ・ミー・ドゥ」を同じ年の10月5日に、イギリスで発売されたのです。
ビートルズはたちまち、人々の間で話題となり、翌年に発売した2曲目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が、イギリスでヒットチャートで4位となったのです。
それからもシングルやアルバムは、発売すると必ず1位を獲得し大ヒットとなった。
スーツ姿に「マシュルーム・カット」と呼ばれる髪型(かみがた)で、彼らの自由なファッションも大きな話題となった。
その頃のビートルズはコンサートを、とても大切にしていたのです。
毎日のようにステージに立って、観客(かんきゃく)の前で演奏(えんそう)していました。
コンサートはやがてイギリス中で開かれるようになり、たくさんの若者たちが、ビートルズの演奏に熱中していたのです。
スポンサードリンク
○ビートルズ・マニアが世界中に広がる!
若者間で、やがて新聞やテレビで「ビートルズ・マニア」と呼ばれる、熱狂的なファンが現れるようになっていきます。
コンサート会場の外にも大勢の人が、会場の周りの交通をマヒさせ、会場内のファンはキャーキャーと叫ぶ人たちが続出していたのです。
こうして若者たちを中心に、ビートルズ人気はイギリスから世界中に広がっていきました。
アメリカ、ヨーロッパでレコードやコンサート活動を通してビートルズファンがどんどん増えていきました。
来場客があまりにも多くなったため、会場に野球場を使用するほどになっていきました。
今では珍しくありませんが、そのような場所でコンサートをしたのは、ビートルズが最初だったのです。
日本でも1966年にビートルズが日本武道館で講演を行っています。
(写真:ビートルズ来日_matome.naver.jp)
その時は、失神する熱狂的なファンも続出したと言われています。
その時のコンサートの司会を務めたのは、当時日本で活躍していた男性タレントのE・H・エリックでした。
(写真:nagomi-web.com)
前座(ぜんざ)として、尾藤イサオ、内田裕也、望月浩、桜井五郎、ジャッキー吉川、ブルーコメッツ、ブルージーンズ、ザ・ドリフターズなどがいます。
当時警察では大規模(だいきぼ)な警備体制(けいびたいせい)をとり、会場内では1万人の観客(かんきゃく)に対して3千人の警官を配備していました。
ビートルズ自身も行動が著(いちじる)しく制限(せいげん)され、分刻(ふんきざ)みのスケジュールであった言います。
しかし、やがてビートルズはコンサート活動が嫌になっていくのです。
それは、どれだけ熱心に演奏をしても熱狂的なファンは、騒ぐばかりで演奏を聞いていないように思うようになっていったのです。
1966年の6月と7月にビートルズは日本でコンサートを行い、その翌年のコンサートを最後に、ビートルズはコンサート活動を休止し、音楽スタジオでレコーディング活動に専念(せんねん)するようになっていきます。
○ビートルズはレコーディングと好きなことに専念!
レコーディング活動をするようになり、4人はそれぞれが好きなことに取り組んでいます。
映画に出演したり、世界のいろいろな音楽にふれ合ったり、家族旅行をするメンバーもいます。
彼らにとって、リフレッシュ期間だったのかも知れません。
リフレッシュ期間を終えた1966年の11月に、彼らは再びテレビの前に姿を見せます。
(写真:www.asahi.com)
そこには、かつてのアイドルだったビートルズの面影はありません。
各人がバラバラの服装で、口ヒゲをはやしていたのです。
そこで彼らはコンサート活動を改めて停止して、音楽アルバムをつくることに専念(せんねん)すると宣言(せんげん)しています。
それまでは忙しいコンサート活動のあいまに、レコーディングを行っていました。
そん中で自分たちのやりたい音楽をつくって、たくさんの人に聞いてほしいと思っていたのです。
再活動後に最初に出したアルバムは、「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」はなんと、700時間もかけて制作したものと言われています。
1967年に発売されたこのアルバムは、新しいビートルズの音楽として、ヒット・チャートでナンバーワンを独占する大ヒットとなったのです。
○ビートルズがついに解散!
メンバーそれぞれが、音楽活動(おんがくかつどう)を続けていくうちに、だんだんお互いのやり方に、意見が合わなくなることが増えていきました。
また、それぞれが芸術(げいじゅつ)や平和活動(へいわかつどう)など、音楽以外の活動にも目を向けるようになっていきました。
1967年に、長年ビートルズのマネージャーを務めていた人が、亡くなると、メンバーはさらにそれぞれが自分の個性を主張するようになっていった。
アルバムのレコーディングでも4人が揃って行うことも少なくなり、ソロ活動が多くなっていきました。
1970年に、ついにビートルズは解散することになりました。
4人のメンバーは、その後も音楽活動を通して、社会にさまざまなメッセージを伝えていきました。
4人の伝説は、さまざま形で語り継がれていったのです。
ビートルズのメンバーで今でも存命(ぞんめい)しているのは、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターの2人です。
○まとめ
・「ビートルズ」は、あまりにも世界的にも有名で当時全英アルバムチャートで、年間売り上げ最高アルバムを獲得した。
・ギネスに最も成功したグループ・アーティストとして認定されている。
・2016年は日本に来日して、50周年となる。
・ビートルズのメンバーは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人である。
・1962年にリンゴ・スターがメンバーに加わり、最初のシングル「ラブ・ミー・ドゥ」を同じ年の10月5日に、イギリスで発売された。
・ビートルズは翌年に発売した2曲目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が、イギリスでヒットチャートで4位となった。
・スーツ姿に「マシュルーム・カット」と呼ばれる髪型で、彼らの自由なファッションも大きな話題に。
・若者間で、やがて新聞やテレビで「ビートルズ・マニア」と呼ばれる、熱狂的なファンが現れるようになった。
・若者間で、やがて新聞やテレビで「ビートルズ・マニア」と呼ばれる、熱狂的なファンが現れるようになった。
・日本でも1966年にビートルズが日本武道館で講演を行っている。
・1967年のコンサートを最後に、ビートルズはコンサート活動を休止する。
・音楽スタジオでレコーディング活動に専念するようになる。
・彼らはコンサート活動を改めて停止して、音楽アルバムをつくることに専念する。
・だんだんお互いのやり方に、意見が合わなくなることが増えていく。
・1970年に、ついにビートルズは解散する。
・4人のメンバーは、その後も音楽活動を通して、社会にさまざまなメッセージを伝えている。
スポンサードリンク