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トルコと日本の95年越しの友情物語!

世界には、日本に親しみを持ったり、日本人のことを尊敬したるする人たちがたくさんいます。

トルコ共和国も、昔あるきっかけで、日本に感謝している国なのです。





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トルコでは、子どもの頃から学校の教科書で、日本との関(かか)わりについて学んでいると言います。

その関わりとは、今から120年前に起きた、ある事故がきっかけだったのです。

トルコ共和国は、人口7500万人で首都はアナトリア中央部のアンカラである。

北は黒海(こっかい)、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシャと、東はシリア、イラク、イランと隣接している国である。

GoogleMap(地図:GoogleMap)

トルコの国土の96%がアジアのアナトリア半島にあり、人口もアジア側が9割を占めている。

歴史的もにセルジョーク朝(ちょう)をはじめ、イランとイラクの影響が強い国でもあるのです。

○120年以上前に、エルトゥールル号の遭難事故があった!

1889年7月、オスマン・トルコ帝国(現在のトルコ共和国)の皇帝(こうてい)が日本に使いの人たちを向かわせた。

オスマントルコ帝国_ja.wikipedia.org(絵:オスマントルコ帝国_ja.wikipedia.org)

その頃の両国は、いつロシアが自分たちの国に攻めてくるか分からない状況でした。

そこでトルコ帝国の皇帝は、自分の国を守るため、日本との友好関係(ゆうこうかんけい)を深めようと、使者をおくったのです。

使いの人たちは、総勢で650数名を乗せた軍艦(ぐんかん)・「エルトゥールル号」は、翌年の6月に日本に到着(とうちゃく)し、日本人に歓迎(かんげい)を受けることになったのです。

その3か月後の9月、650数名を乗せたエルトゥールル号は、日本人の盛大な見送りを受けて、帰路(きろ)に出港した。

しかしその時期の日本は、台風の時期で、エルトゥールル号が、和歌山県の沖・熊野灘(くまのなだ)にさしかかった。

その時です。

台風により荒れ狂った海で、エルトゥールル号は波にぐんぐん押し流され、船は大きな岩に乗り上げ、ついには沈没(ちんぼつ)してしまうのです。

エルトゥールル号_cappadociapress.net(写真:エルトゥールル号_cappadociapress.net)

650数名を乗せた乗組員(のりくみいん)は、海に投げ出され、580名以上の死者を出してしまったのです。

しかし、その中でも生き残った数名の乗組員は、近くの灯台の灯(あか)りを目指し、ボロボロになりながら、近くの岸にたどりつくことができたのです。

和歌山県・串本町(くしもとちょう)の人々は、その事故を受けて、一生懸命救助(いっしょうけんめい きゅうじょ)を行ったのです。

家にある全てのものを遭難(そうなん)したトルコ人に食べさせ、冷え切った体を暖(あたた)め、69人もの命を救(すく)うことができたのです。




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○トルコ人は忘れていなかった!95年越しの恩返し!

そして時を経(へ)た1985年、イランとイラクが戦争をはじまった。

当時のイラクの大統領が「今から40時間後より、イランの上空(じょうくう)を飛(と)ぶ飛行機(ひこうき)はすべて撃(う)ち落とす」と、世界に向けて発表した。

イランに住んでいた日本人は、慌(あわ)てて日本に帰ろうと空港(くうこう)に向かっていたのです。

しかし、どの飛行機も人がいっぱいで飛行機に乗ることもできず、日本から救援機(きゅうえんき)も出ません。

空港にいた日本人は、パニックになってしまいます。

その時、タイムリミットの1時間15分前、トルコ政府が用意してくれた飛行機が、イランに取り残された日本人を救うために、到着したのです。

そして、イランに取り残された日本人、215人全員を救うことができたのです。

このときのことを、トルコの元駐日(もとちゅうにち)トルコ大使は、当時のことを、次のように語っています。

「エルトゥールル号の事故(じこ)を、私も子どもの頃、教科書(きょうかしょ)で学びました。トルコでは日本のことをよく知っています。それで、イランで困(こま)っている日本人を救うために、トルコの航空機(こうくうき)を飛(と)ばしたのです。」

「情(なさ)けは人のためにならず」という諺(ことわざ)があります。

人として当然のことをしたことであるが、それが巡(めぐ)りめぐって、イランにいた日本人を救うことができた。

大切なのは、95年前の恩(おん)を忘れていなかったトルコの人々に、とても寛大(かんだい)で、尊敬(そんけい)を感じます。

○まとめ

・トルコ共和国も、昔あるきっかけで、日本に感謝している国である。

・トルコ共和国は、人口7500万人で首都はアナトリア中央部のアンカラである。

・トルコ帝国の皇帝は、自分の国を守るため、日本との友好関係を深めようと、使者をおくった。

・総勢で650数名を乗せた「エルトゥールル号」は、翌年の6月に日本に到着し、日本人に歓迎を受けることになる。

・帰るときに日本は、台風の時期で、エルトゥールル号は、波に押し流され、船は大きな岩に乗り上げ、ついには沈没してしまった。

・乗組員は、海に投げ出され、580名以上の死者を出してしまう。

・和歌山県・串本町の人々は、その事故を受けて、一生懸命救助を行い、69人もの命を救うことができた。

・それから、1985年イランとイラクが戦争をはじまった。

・イランに住んでいた日本人は、取り残されてしまう。

・トルコ政府が用意してくれた飛行機が、イランに取り残された日本人を救った。

・「情(なさ)けは人のためにならず」




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