伊達政宗は白陣羽織で秀吉に会った逸話があった!
伊達政宗(だて・まさむね)と言えば、トレードマークである右目の眼帯と兜(かぶと)の弦月(げんげつ・半月)ではないでしょうか。
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伊達政宗は、当時京都を納め、百姓(ひゃくしょう)から関白(かんぱく)までのぼりつめた、天下人・豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)に、事あるごとに逆らっていたことは、有名な話しとなっている。
東北地方の大部分を納めた政宗であるが、秀吉の再三の呼び出しにも応じず、天下人となった秀吉にやっと重い腰を上げて、遭うことになる。
秀吉が政宗に激怒していることを察知した政宗は、首をはねられる覚悟を見せかけるために、真っ白な陣羽織(じんばおり)を羽織、秀吉と小田原で対面した。
秀吉はたいそう驚き、小田原に遅れて参った政宗を許す結果となった。また秀吉の激怒もどこへやら。
また秀吉に嫌疑(けんぎ)をかけられたときも、政宗は陣羽織では済まされないと察知して、今度は金箔(きんぱく)を貼った十字架を揚げて、秀吉のいる大阪城に行き、秀吉を再度驚かすことに成功している。
そんな派手で粋(いき)なパフォーマンスの政宗であるが、「伊達男」の語源となっている。
スターウォーズの映画に出てくるダース・ベイダーのマスクは、伊達政宗の兜(かぶと)をモデルにしたと言う。
(写真:伊達家の兜_item.rakuten.co.jp)
(写真:ダース・ベイダー_blog.livedoor.jp)
海を越えてアメリカでも、知られる政宗とは、どんな人物だったのか。
○伊達政宗とは、どういう人物だったの?
伊達政宗は16代当主である伊達輝宗(だて てるむね)と正式であった出羽国の大名である最上義光(もがみ よしあき)の娘、義姫(よしひめ)の間に生まれた、嫡男(ちゃくなん)であった。
1584年(天正12年)に、父の輝宗の隠居に伴い、伊達家の17代当主なっている。
(写真:伊達政宗の騎馬像_ja.wikipedia.org)
当時まだ18歳の政宗であったが、近くの国を次々と戦を起こして国を納めている。
政宗が幼少のころ、天然痘(てんねんとう)の病にかかり、右目の視力を失うことになる。
それ以来、右目に眼帯(がんたい)と呼ばれる、黒い布で目を隠していたとされている。
後に「独眼竜(どくがんりゅう)」と呼ばれることになった。
独眼竜という言葉は、江戸時代以降に政宗の愛称を言ったものとして有名となった。
政宗には20歳ほど離れた姉(喜多)がいる。母親代わりとなり政宗を厳しく育てることになる。
姉は兵書や武道にも通じていた、女丈夫(じょじょふ・気丈が強くしっかりとした女性)だった。
後に政宗の乳母として、任させているほどの女性だったという。
そんな厳しく育てられた政宗であったが、政宗は粋(いき)で周囲の状況を判断して、的確に行動をする武将だった。
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○政宗のエピソード
口頭でも述べたように、秀吉が天下統一の最後である、当時北条氏が統治していた、小田原城(いまの神奈川県小田原)を攻める際に、政宗も加わるように、命を出す。
(絵:豊臣秀吉_r-ijin.com)
そのときに、秀吉は政宗に「小田原を攻めるより前に着くように」と言い渡した。
しかし政宗は、結局2か月遅れで小田原にたどり着くのであった。
激怒した秀吉は、政宗を呼びつけるのであった。
そこで政宗は、白い陣羽織(死ぬときに着る服)を着て、秀吉に会うのであった。
(写真:武将陣羽織_www.samue.co.jp)
それを見た秀吉は、命をかけて仕えようとする姿に、秀吉は政宗を処罰することができず、政宗を許したのであった。
その後政宗は、秀吉の家臣となって朝鮮半島へ出陣している。
このとき政宗とその家臣たちが、豪華な武装をしていることから、かっこいい男という意味をもつ「伊達男」という言葉が生まれることになった。
○関ヶ原の戦い以後、仙台を統治し町を整備する!
やがて秀吉が亡くなり、1600年、関ヶ原の戦いが起こる。
政宗は、秀吉側に見方するのではなく、徳川軍に味方し戦っている。
家康軍が勝利すると、家康から仙台の地を与えられた。
(絵:徳川家康_matome.naver.jp)
政宗は青葉山に仙台城を築き、さらに100万人を動員して、仙台の城下町を開発していくことになる。
荷物を運ぶために川や港もつくり、藩でとれた多くの米などを、江戸へと運ばれることになった。
こうして豊臣家、徳川家と仕えた政宗であるが、1636年に亡くなる。
(絵:伊達政宗_shichikasha.info)
「親父様(おやじさま)」として慕っていた、徳川三代将軍・家光は、政宗のために盛大な葬儀が行ったと言われている。
○まとめ
・伊達政宗のトレードマークは、右目の眼帯と兜の弦月である。
・政宗は20歳ほど離れた姉に育てられている。
・政宗は、事あるごとに豊臣秀吉に逆らっていた。
・激怒している秀吉に、真っ白い陣羽織で会い、秀吉を驚かしている。
・スター・ウォーズのダース・ベイダーのマスクは、伊達政宗の兜をモデルとしていた。
・政宗は、幼少のころ天然痘で右目を失明してから、右目を黒い布で覆うようになった。
・独眼竜と呼ばれるようになったのは、江戸時代以降である。
・政宗は関ヶ原の戦い以降、仙台を任され、城下町を整備してした。
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