江戸時代の銭湯は混浴だったて本当!?
江戸時代は、家庭に水道がなかったので、皆で銭湯に行っていたのです。
江戸時代は水はとてもに貴重(きちょう)で内風呂(うちぶろ)がある家庭なんて、あまりなかったのです。
ほとんどの武士でも、銭湯に行ってお風呂に入っていましたし、大商人の主人だろうが貧乏人の家族だろうが、皆銭湯に通っていたのです。
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銭湯は、江戸で「湯屋(ゆや)」と呼ばれ、京都や大阪などは「風呂屋(ふろや)」と呼ばれていました。
江戸時代の人たちは、今でもそうですがお風呂が好きで、仕事前の朝風呂、仕事が終わってからの夕風呂と、2回は入っていた人もいたそうです。
入浴料金は、大人8文(約12円)で現在のお金に換算すると96円ぐらいで、割安だったことが伺(うかが)えます。
また民間が発行した「羽書(はがき)」と呼ばれる紙幣の一種で、それを使って銭湯の預かり証としてフリーパスで銭湯に通っていた人もいました。
(写真:羽書_blog.goo.ne.jp)
当時の銭湯は混浴で、現代のように湯船に入るものではなく、蒸し風呂が当たり前でした。
時代とともに、木の桶(おけ)に湯をはって、お湯につかる習慣は、次第に主流となっていったのです。
江戸の町は、とても火事が多く、町民の間では火を使わないことがとても大切で、水不足もあり、銭湯通いをする人も当たり前の時代だったのです。
○銭湯は裸の付き合いで憩いの場だった!
最近ではほとんどの家庭にお風呂があり、銭湯は少なくなりました。
しかし、昔はほとんどの家にお風呂がなく、銭湯に通っていたことは冒頭でもお話しをしました。
銭湯が一般的に広まった江戸時代は、庶民の憩いの場となっていました。
(絵:江戸時代のお風呂_edo-g.com)
俗にいう、「裸のつきあい」というものでしょう。
今では男女別々に入るのが当たり前ですが、昔は多くの銭湯は男女混浴だったのです。
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○江戸時代、なんども混浴禁止令がだされていた!
もともと大きなお風呂といえば、天然(てんねん)の温泉(おんせん)のことで、そこでは男女だれでも入ることができました。
混浴(こんよく)はごく自然だったのです。
それに、当時は男女別々の設備をつくのは、経済的に難しかったこともあります。
江戸時代には、風紀上(ふうきじょう)の理由から何度も「混浴禁止令(こんよくきんしれい)」が出されていました。
(写真:江戸時代の銭湯_the-mystery.net)
しかし、その禁止令は完全ではありませんでした。そこで庶民は混浴をしていたのです。
明治時代になって、外国の目を気にした政府が厳しく取り締まりを行った結果、ようやく混浴は姿を消していったのです。
(写真:銭湯_www.yomeishu.co.jp)
今では、山の奥地の一部の温泉が混浴が残っている程度となっています。
○まとめ
・銭湯は、江戸で「湯屋」と呼ばれ、京都や大阪などは「風呂屋」と呼ばれていた。
・当時の銭湯は混浴で、現代のように湯船に入るものではなく、蒸し風呂が当たり前。
・時代とともに、木の桶に湯をはって、お湯につかる習慣は、次第に主流となった。
・銭湯が一般的に広まった江戸時代は、庶民の憩いの場となっていた。
・江戸時代、なんども混浴禁止令がだされていた。
・当時は男女別々の設備をつくのは、経済的に難しかった。
・明治時代になって、外国の目を気にした政府が厳しく取り締まりを行った結果、ようやく混浴は姿を消していった。
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