いろいろな富士山や動く波を描き続けた「葛飾北斎」の人生とは!?
葛飾北斎(かつしかほくさい)というと、冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)が有名で、特に富士山を題材にした作品は、日本のみならず、世界でも有名な作品である。
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富士山が世界文化遺産(せかいぶんかいさん)に登録されたのも、この葛飾北斎の富士山を題材した作品である冨嶽三十六景が貢献されたと言ってもよい。
北斎は、生涯に3万点以上の作品を描いたとされている浮世絵師(うきよえし)である。
浮世絵とは、江戸時代に成立した絵画(かいが)のジャンルを言う。
浮世絵は、世界的に有名で印象はのゴッホやモネ、ゴーギャンなど画家にも影響(えいきょう)を与えている。
印象派(いんしょうは)で知られる「ゴッホ(ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)」の作品の中で、浮世絵(うきよえ)を模写(もしゃ)したものが多く見受けられる。
(ゴッホの浮世絵Naverまとめ)
この浮世絵を模写したことで、それまでのゴッホの作風(さくふう)とは、大きく変わったとされている。
それまでのゴッホの作風にない、「黄色を基調」とした作品が多く見受けられるようになっていった。
彼の作品の中では、「ひまわり」、「黄色い家」などの作品は有名である。
(ゴッホのひまわり_natuno47.exblog.jp)
○北斎が幼少の頃は、版木や絵画に意欲的だった!
江戸時代に、後に世界中の多くの画家に影響を与えた、すばらしい才能をもった画家がいた、それが浮世絵師の「葛飾北斎」だった。
北斎は江戸に生まれ、14歳で浮世絵の版木(はんぎ)を掘(ほ)る職人(しょくにん)となる。
北斎は版木を彫るうちに、絵を描きたいと思うようになっていった。
18歳のとき、当時人気画家であった「勝川春章(かつかわしゅんしょう)」の弟子(でし)となった。
勝川春章は、写実的(しゃじつてき)なブロマイド的な役者似顔絵(やくしゃにがおえ)を得意(とくい)として、大衆(たいしゅう)に支持(しじ)された画家であった。
北斎は春章の弟子となってから、めきめきと絵の腕を上げ、浮世絵だけでなく、本の挿絵(さしえ)なども描くようになった。
また、新しい絵の技術を取り入れることにも積極的で、海外から伝わったばかりの油絵(あぶらえ)やガラス絵、銅版画(どうはんが)についても勉強した。
北斎は絵を学ぶことにとても意欲的(いよくてき)で、師匠(ししょう)の春章だけでなく、いろいろな浮世絵師の先生のもとで勉強した。
しかし江戸時代は、同時に何人かの師匠に弟子(でし)入りすることを許(ゆる)されていなかったため、北斎は春章から弟子を破門(はもん)させられてしまう。
絵の仕事がなくなった北斎は、唐辛子(とうがらし)を売り歩いてお金を稼ぎながら、寝る間もおしんで絵の勉強を続けた。
○やがて北斎の絵が認められることに!
やがて北斎の描いた絵が売れ始め、絵の注文がたくさん入るようになっていった。
(富嶽三十六景_blog.goo.ne.jp)
毎日忙しく絵を描き続け、お金もたくさん入るようになっていった。
しかし北斎は、粗末(そまつ)な家に住み、いつも貧しい身なりをしていた。
北斎は、絵の腕を上げることだけでいっぱいであった。
1814年頃から描き始めた「北斎漫画(ほくさいまんが)」は、動物や植物、人間のいろいろな表情などが描(えが)かれた、絵のお手本となり、当時は人気となっていった。
(北斎漫画_fudandukai.com)
あるとき、日本から外国に輸出されたお皿に包んであった、北斎漫画が描かれた紙があった。
それを見たフランスの画家が「すばらしい絵だ!」と画家たちの間で広まり、北斎の名はフランスの印象派の画家たちにも広がっていった。
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○北斎は生涯、絵のために生きた人生だった!
北斎が72歳の頃に完成した「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」は、富士山を題材(だいざい)にし、富士山をいろいろな角度で描いたものである。
(赤富士_Wikipedia)
絵の中には、当時の人々の生き生きとした様子も描かれていた。
これが評判となり、「富士と言えば北斎」と言われるようになっていった。
(葛飾北斎_日本電信電話ユーザ協会)
74歳で「富嶽百景(ふがくひゃっけい)」を発表した北斎は言う。
「70歳になる前に描いた絵は、ろくなものがない。この頃やっと、生き物の姿(すがた)が分かってきた。もっとうまくなりたい。」
と言っている。
そして90歳で亡くなる直前には、
「私の絵はまだまだだ。あと5年長く生きられていたら、本当の絵を描くことができたのに。」
と言っている。
絵を磨くことを一時も忘れることがなく、絵のために生きた一生の葛飾北斎であった。
○まとめ
・葛飾北斎というと、冨嶽三十六景が有名で、特に富士山を題材にした作品は、日本のみならず、世界でも有名な作品である。
・北斎は、生涯に3万点以上の作品を描いたとされている浮世絵師である。
・浮世絵は、世界的に有名で印象はのゴッホやモネ、ゴーギャンなど画家にも影響を与えている。
・北斎は14歳で浮世絵の版木を掘る職人となる。
・18歳のとき、当時人気画家であった「勝川春章」の弟子となる。
・北斎は春章の弟子となってから、めきめきと絵の腕を上げ、浮世絵だけでなく、本の挿絵なども描くようになった。
・1814年頃から描き始めた「北斎漫画」は、絵のお手本となり、当時は人気となっていった。
・北斎が72歳の頃に完成した「冨嶽三十六景」は、富士山を題材にし、富士山をいろいろな角度で描いたものである。
・74歳で「富嶽百景」を発表した。
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