国際赤十字を創設し最初のノーベル平和賞を受賞したアンリ・デュナン!
白地に赤い十字のマークを「赤十字(せきじゅうじ)」といいますよね。
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これは「国や人種(じんしゅ)、宗教(しゅうきょう)などの違いを超えて、戦争(せんそう)や災害(さいがい)のために、病気やけがをした人を救います」という印(しるし)なのです。
その旗(はた)を掲(あ)げているところは、たとえ戦争中(せんそうちゅう)でも攻撃(こうげき)をすることができないのです。
この赤十字を創設(そうせつ)のもとになっている人物が、スイスの「アンリ・デュナン」とういう人物なのです。
○アンリ・デュナンとはどんな人物なの?
ジャン・アンリ・デュナンは、スイス・ジュネーブで生まれ、赤十字社を創設のもとをつくり、1901年に初めてノーベル平和賞(へいわしょう)を受賞(じゅしょう)した人です。
(赤十字社の創設者アンリ・デュナン_Naverまとめ)
家は5人兄弟の長男として生まれ、父親(ちちおや)は政治(せいじ)や経済界(けいざいかい)の名士(めいし)で、代議員(だいぎいん)や福祉(ふくし)の所長(しょちょう)を務(つと)めている名家(めいけ)であったのです。
アンリは、子どもの頃から、恵(めぐ)まれない人のために何とかしたいと、と思っていました。
アンリはジュネーブの名門校(めいもんこう)に入学するも、学業不振(がくぎょうふしん)により3年で退学(たいがく)している。
その後、家庭教師(かていきょうし)による補習授業(ほしゅうじゅぎょう)で教育(きょういく)を受け、「愛の突撃隊(とつげきたい)」という慈善団体(じぜんだんたい)のメンバーとして働くようになる。
恵(めぐ)まれない人たちのための活動(かつどう)をするようになったのです。
それからアンリは、2年間の見習(みなら)いを終え、銀行(ぎんこう)の正社員(せいしゃいん)として働きます。
銀行員として働きながら、キリスト教活動にも尽力(じんりょく)しています。
当時、ジョージ・ウィリアムによって、ロンドンで「YMCA(キリスト教青年会)」が創設(そうせつ)され、アンリはジュネーブで「YMCA」を設立(せつりつ)する。
そんな中アンリは、銀行員としてフランスの植民地(しょくみんち)であるアルジェリアへ出張(しゅっちょう)を命(めい)じられます。
そこで差別(さべつ)と迫害(はくがい)と貧困(ひんこん)に苦しむ現地の人たちに、アンリは衝撃(しょうげき)を受けたのです。
アンリは、ただお金や物をあげるだけでは、アルジェリアの人たちを助けることにならないと思ったのです。
アンリは銀行を辞(や)め、友だちと二人で、小麦粉(こむぎこ)をつくる会社をつくることを考えました。
小麦粉をつくるために、土地を耕(たがやか)し畑をつくれば、アルジェリアの人たちが畑(はたけ)で働(はたら)くことができ、生活できるようになっていきます。
ところが、アルジェリアは砂漠(さばく)で畑に必要な水がほとんどありません。また水源(すいげん)はフランスが管理(かんり)して自由に使うことができなかったのです。
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○赤十字の誕生!
そこで、アンリはフランスの皇帝(こうてい)に会い、自由に水を使わせてもらうことを頼(たの)みに、戦場(せんじょう)であるイタリアに出かけます。
激戦地(げきせんち)であるイタリアのソルフェノールでアンリが見たのは、医者(いしゃ)や看護師(かんごし)も足りない、ひどいケガのまま道に転がっているたくさんの兵士(へいし)を目にする。
アンリは町の人たちに「ケガをした兵隊(へいたい)を助けよう!」と呼びかけます。けがをして動けない人を国によって区別することもしませんでした。
アンリは1862年に「ソルフェノールの思い出」という題(だい)で、戦場でケガした人や病人の人たちのことや、それを助ける人たちのことを本に書きました。
その本を読んだ人たちは感動(かんどう)し、戦場で敵(てき)や味方(みかた)の区別(くべつ)をせずに、傷ついた人たちや、病人を助ける世界的な決まりをつくろうという動きが、あがっていきました。
こうした動きの中、1863年赤十字のマークで知られる「赤十字社(せきじゅうじしゃ)」が誕生(たんじょう)することになったのです。
(赤十字マーク_日本赤十字社)
そして赤十字の根本的(こんんぽんてき)な考えを広めたアンリに、第1回「ノーベル平和賞」が与えらることになりました。
(ノーベル平和賞_ウィキペディア)
○まとめ
・白地に赤い十字のマークを「赤十字」という。
・赤十字の旗を掲げているところは、たとえ戦争中でも攻撃をすることができない。
・この赤十字を創設のもとになっている人物が、スイスの「アンリ・デュナン」とういう人物なのです。
・銀行員として働きながら、キリスト教活動にも尽力していた。
・アンリはジュネーブで「YMCA」を設立する。
・アンリは1862年に「ソルフェノールの思い出」という題(だい)で、戦場でケガした人や病人の人たちのことや、それを助ける人たちのことを本に書いた。
・その本を読んだ人たちは感動し、病人を助ける世界的な決まりをつくろうという動きが、あがっていきました。
・こうした動きの中、1863年赤十字のマークで知られる「赤十字社(せきじゅうじしゃ)」が誕生することになった。
・アンリに、第1回「ノーベル平和賞」が与えらることになった。
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