ベトナム・ホーチミンを独立へと導いた「ホーおじさん」ってどんな人?
ベトナムは、カンボジア、ラオスに隣接する縦に国である。
北に位置する首都はハノイで、第二の都市と言われるホーチミンは南に位置している、
かつて戦争でもっとも被害にあった国とは思えないほど、産業や文化、観光が盛んに行われている。
スポンサードリンク
第二次世界大戦時にベトナムは、フランス本国のドイツに占領されていた。1941年にがタイ王国と交戦し、日本政府の仲裁もあった。
凶作に加え、米軍の空襲、日本の援助薄などのにより、200万人以上が餓死したとされる。
それ同時期に、ベトナム独立同盟がハノイを占拠。ベトナム民主共和国の樹立を宣言し、ホーチミンが初代国家主席に就任した。
1946年には、北ベトナムと南ベトナムとで分断する危機となり、南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握し、ベトナム戦争は終結。
(Google_ホーチミン)
そんな時代に、今もベトナムの人々に愛さている「ホーおじさん」という人物がいた。
○「ほーおじさん」ってどんな人?
ホ-おじさんは、ホーチミンという人物で、ベトナム第二の都市の名でも有名である。
(写真:saigon-ronin.blogspot.com)
当時フランスに支配されていたベトナムで生まれたホーは、大きくなると船乗りになり、ヨーロッパ諸国やアメリカ大陸など、いろいろな国を訪ねることが夢だった。
1917年にロシア改革が起こり、ホーはベトナムもフランスの支配から抜け出すべきだと考えるようになった。
こうしてホーは政治活動に興味を示すようになっていく。
そんな中1939年に第二次世界大戦に突入すると、フランスと敵対していたドイツや日本が、ベトナムに攻め込むようになった。
そこで1941年、ホーはベトナムに帰国し、「ペトミン」というグループを組織し、独立するために戦うになった。
スポンサードリンク
○ベトナムが南北に分裂した歴史があった!
ベトナムを介入していた日本やドイツは、第二次世界大戦で敗戦国なった。
ベトナムは終戦後「8月革命」がおこり、この革命でフランスに支配されることを認めていた政府が倒されることになる。
そこで「ホー」は「ベトナム民主共和国」をつくり、ベトナムの独立を宣言するようになった。
ホーはフランスからベトナムを独立を認めるように交渉するが、話し合いがつかず、ついに1946年にフランスと独立戦争をすることになってしまう。
この戦争は1954年まで続き、ベトナム軍はフランス軍を追い出し、ついに勝利することになる。
フランスに勝利したこともつかの間で、今度はアメリカが、ベトナム南部の「ベトナム共和国」に協力するようになった。
これにより、ベトナムは「ベトナム民主共和国」(北ベトナム)と、ベトナム共和国(南ベトナム)とに分裂することになる。
それから1960年から、北ベトナムと南ベトナムの間で戦争が始まった。
アメリカは南ベトナムに協力し、北ベトナムと戦う戦争となっていた。
アメリカによる激しい攻撃で、ベトナムの国土は荒れ果て、多くの人命が奪われることになる。
このときホーは、ラジオ演説で「独立と自由ほど尊いものはない」と呼びかけ、国家の代表として国民を励ました。
1976年にベトナムはアメリカを追い出し、ついに勝利することになる。
それから分裂していた北ベトナムと南ベトナムは統一されるようになった。
ホーはこのとき既に亡くなっていたが、偉大な英雄・ホーおじさんの活躍した功績は、ベトナムの人たちに語り継がれることでしょう。
(写真:ホーチミン_www.geocities.jp)
○まとめ
・ベトナムは、カンボジア、ラオスに隣接する国。
・首都はハノイで、第二の都市と言われるホーチミンがある。
・かつて戦争でもっとも被害にあった国である。
・ホーはベトナムもフランスの支配から抜け出すべきだと考えるようになった。
・ホーは「ベトナム民主共和国」をつくり、ベトナムの独立を宣言する。
・1954年まで続き、ベトナム軍はフランス軍を追い出し、ついに勝利する。
・今度は1960年から、北ベトナムと南ベトナムの間で戦争が始まる。
・1976年にベトナムはアメリカを追い出し、ついに勝利することになる。
スポンサードリンク