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日本の娯楽産業の基礎を築いた「小林一三」

皆さん「小林一三(こばやしいちぞう)」という人物は、ご存じだろうか。

彼は日本の実業家で、阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店など阪急東宝グループの創業者

いわば、今の鉄道沿線を中心に娯楽の基礎を築いた人なのです。





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鉄道を起点に沿線(えんせん)の住宅開発、百貨店経営など幅広く事業を展開し、今日(こんにち)の私鉄経営のビジネスモデルの原型を作った人物としても有名である。

元テニスプレーヤーで今ではタレントとして活躍している、「松岡修造(まつおかしゅうぞう)」さんの曽祖父(そうそふ)でもあるのです。

松岡修造_4knn.tv(写真:松岡修造_4knn.tv)

松岡修造の家系図(図:松岡修造の家系図)

○小林一三とは、どんな人?

小林一三(こばやしいちぞう、1873年-1957年)は、日本の実業家で政治家でもある。

小林一三_www.nippon.com(写真:小林一三_www.nippon.com)

阪急電鉄を中心に、宝塚歌劇団をはじめとする阪急東宝グループの創業者である。

今では駅の周りなど、鉄道が通っている沿線には、住宅やお店、さらに映画館や遊園地など、いろいろな施設(しせつ)が集まっている。

とても生活が便利になっています。

そんな鉄道の沿線を中心に、人が集まるいろいろな施設の基礎を築いたのが、小林一三だったのです。

一三は山梨県生まれ、生まれてすぐ母親は病気で亡くなっている。
父親も幼少のころから離れて暮らすようになる。

一三は、祖父(そふ)の家に引き取られ、子どものころを過ごしている。

一三は、17歳のときに新聞に小説を発表する。将来一三は大学を卒業して新聞社に入って、働きながら本を書く作家になりたいと思っていた。

そんな夢を持っていた一三であるが、新聞社に入ることはできず、人に勧(すす)められて、銀行に勤(つと)めることになる。

しかし、銀行の仕事にやりがいを見出すことができず、14年間働いた銀行を辞(や)める。

会社を辞めた一三は、大阪で新しく開通する箕面有馬電気軌道(みのおりまでんききどう)、今の阪急電鉄の仕事に関わることになる。

阪急電鉄_news.mynavi.jp(写真:阪急電鉄_news.mynavi.jp)

その頃、電車が通る予定の沿線は、家や建物がなく、田んぼばかりだった。

「そんなところに、電車が走っても誰も乗らないだろう」と言われていた。

一三は、「駅の近くに家を建てれば、そこに住む人たちは、電車を利用するだろう」と考えた。

電車の線路工事(せんろこうじ)を進めながら、周りの土地を買い取って、そこに家を建て売ることを提案する。

しかし、家を買うとなるととても高く、庶民にはなかなか手の届くものではなかったのです。

一三は、一括でお金を支払うのではなく、分割して毎月少しずつお金を支払う、日本で初めて「ローン」という方法をとったのです。

これなら大金がなくても、今すぐにでも家を買うことができます。

これで、たくさんの家族が駅の近くに引越してきたのです。




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○電車の沿線に娯楽施設をつくる!

電車に乗る人が増えてくると、今度は人々が楽しめるようにと、宝塚駅の近くに温泉をつくったのです。

温泉に入りに来た人が歌や音楽を楽しめるように、1913年に「宝塚少女唱歌隊(たからづかしょうじょしょうかたい)、今の宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)」をつくったのです。

宝塚歌劇団_ticketcamp.net(写真:宝塚歌劇団_ticketcamp.net)

また大阪の梅田駅前にデパートを建て、そのデパートの一番上の階にレストランをつくり、家族が楽しく景色を楽しみながら食事をすることができるようになったのです。

阪急百貨店_seesaawiki.jp(写真:阪急百貨店_seesaawiki.jp)

今では、展望レストランなどは、珍しくありませんが、当時として画期的(かっきてき)なアイデアであったのです。

さらに1937年には東宝映画という映画会社をつくったのです。

1915年に始まった「全国高校野球選手権大会」の開催を提案したのも、一三だったと言われている。

このように、鉄沿線に人を呼び寄せるために、生活に便利デパートやいろいろな娯楽施設をつくった人なのです。

今も一三の考えやアイデアは、全国で利用されているのです。鉄道の沿線を中心に、人々が集まり、たくさんの娯楽施設を建設し、人々の暮らしを豊かにしているのです。

○小林一三の名言

小林一三は、鉄道を利用してもらうために、あらゆるアイデアで、いろいろな娯楽施設をつくったのです。

その人生においても、とても厳しい人だったことが、名言にも表れています。

ここで、いくつか一三の名言をご紹介します。

金がないから
何もできなという人間は、
金があっても
何もできない人間である。

出世の道は、信用を得ることである。

第一の条件は、
正直でなければならぬ。
あの人には、気を許すことができない
と言われるようでは、信用は得られぬ。

第二の条件は、
礼儀(れいぎ)を知っていることである。
粗暴(そぼう)な言辞(げんじ)、
荒っぽい動作では、
これまた信用は得られない。

第三の条件は、
物事を迅速(じんそく)、
正確に処理する能力が
あるかどうかである。
頼まれた仕事を、催促されるようでは、
やはり信用が得られない。

成功の道は、
信用を得ることである。
どんなに才能や手腕(しゅわん)があっても、
平凡なことを、忠実(ちゅうじつ)に
実行できないような若者は、
将来の見込みはない。

百歩先の見えるものは、
狂人(きょうじん)あつかいにされる。

五十歩先の見えるものは、
多くは犠牲者(ぎせいしゃ)となる。

十歩先の見えるものが、
成功者である。

現在が見えぬのは、
落伍者(らくごしゃ)である。

己(おのれ)を捨てて、
人の夢に働くのが、
却(かえ)って向上、
昇進の近道である。

○まとめ

・小林一三は、日本の実業家で、阪急電鉄、宝塚歌劇団、阪急百貨店など阪急東宝グループの創業者である。

・彼は、今日の私鉄経営のビジネスモデルの原型を作った人物。

・電車の線路工事を進めながら、周りの土地を買い取って、そこに家を建て売ることを提案。

・一三は、日本で初めて「ローン」という方法をとった。

・一三は、展望レストランを建てた。

・1915年に始まった「全国高校野球選手権大会」の開催を提案したと言われている。




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