「昆虫記」を残したファーブルとはどんな人?
6月4日は「虫の日」の日として知られています。
あなたは、昆虫はすきですか?
恐らく、子どものころは好きで虫を触ったりすることが、できたのではないでしょうか。大人になると虫が嫌いで、触ることすらできない人も多いはず。
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筆者もよく、田舎で育ったせいか子どもの頃は、「カブトムシ」が好きで、よく採りにいったものです。またカブトムシの幼虫から、さなぎ、カブトムシと育てた記憶があります。
(写真:www.tsukiyono.co.jp)
そんな中で、子どもの頃から昆虫が大好きで、何十年も昆虫の観察を続け、「昆虫記」という本をだした人がいます。
それが「アンリ・ファーブル」という人物です。
○ファーブルとはどんな人?
(写真:ja.wikipedia.org)
ファーブル(1823年-1915年)は、フランス人で世界でも有名な昆虫学者です。
ファーブルは、生物学者、教師であり、特に昆虫の行動研究の先駆者として知られる人物、ファーブルがまとめた「昆虫記」は特に有名です。
彼は、中学の教師もしていて、物理学、化学の普及書を著しています。
ファーブルは、1823年に南フランスのサン=レオンの町に生まれ、家は裕福ではなかったが、よく引越しをしていたという。
彼は自然豊かなところで暮らすことが多かったのか、少年時代から昆虫に興味を持ち、よく山などに行って昆虫を観察するのが好きだった。
学校の教室につかまえた昆虫を持ってきて、机の下に隠して、こっそり見ていたというエピソードもあります。
ファーブルは、昆虫が好きで勉強はしなかったのかというと、そうでいうこともなく、勉強も頑張り、優秀な成績で卒業し、その後小学校・中学校の先生をしています。
彼は、最初昆虫の標本を集めていたのですが、知人から昆虫を「よく調べてみたら」と言われてから、昆虫の研究が始まるようになっていきます。
道の真ん中に、はいつくばって一日中昆虫を観察していたため、周りの人からは「変わった人だ」と思わることもあったという。
彼は中学の教師を辞めて、昆虫の研究と本を書くことに集中することになります。「昆虫記」にあるように、彼は文字だけでなく、絵もていねいに残すようにしています。
彼の「昆虫記」のおかげで、「昆虫学」という新しい学問が作られるようになったのです。
○「昆虫記」とは?
「昆虫記」は全10巻もある本で、昆虫の生きた姿を細かく記録され、この本を読んだ人に興味を持たせて、感動する内容のため、今でもたくさんの人々に読まれています。
日本では、「ファーブル昆虫記」として、昆虫の習性に関する読み物として、多くの日本人にも読まれています。「昆虫記」は第1巻が1878年に出版され、以降30年にわたって全10巻を出版するベストセラーの本となっています。
「昆虫記」は、広範囲の昆虫が扱われており、最初は特にハチ類と糞虫に関するうものが多い。
ファーブルの興味の中心であったようで、複雑な行動が見られたため多く観察されていたようです。
後半は、広範囲の昆虫を観察し「昆虫記」に残すようになっています。
○ジャポニカで昆虫が消えて復活した理由とは
ジャポニカ学習帳に昆虫の写真を使っています。
(写真:matome.naver.jp)
1970年の発売以来、累計12億冊を販売している。表紙にはカブトムシやてんとう虫などの昆虫の写真
が入っているのが特徴です。
しかし、3年間昆虫の写真を使うのをやめている時期があります。きっかけは、教師や親から寄せられた「気持ち悪い」という声だっと言います。
「ジャポニカ学習帳」をつくる「ショウワノート」は、富山県にある本社工場で作られています。学年や科目ごとに異なる約50種類が販売されています。商品の形に商標権を認める「立体商標」として認められほどの知名度を持っています。
2012年から表紙の写真に昆虫を使われなくなりました。
「娘が昆虫の写真が嫌いでノートを持てない」、「授業で使うとき、表紙を閉じることもできない」という意見がでてきました。
この声は、10年前ほどから寄せられていたいう。
ショウワノートでは、教師や子どもが虫に接する機会が減ったためとしています。ショウワノートでは、苦渋の決断で昆虫の写真を掲載するのをやめることになります。
しかし、その後「気持ち悪い」という親からの声がきっかけで昆虫の写真の掲載をやめていたのですが、このままでは生態系が崩れてしまうという懸念から、再びショウワノートは、再び昆虫の写真を使うようになっています。
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○なせ、大人になると昆虫が苦手になるの?
子どもの頃は、カブトムシやクワガタを触ることができましたが、今カブトムシを触ることすらできません。
(写真:カブトムシの幼虫)
どうして、子どもころは触ることができたのに、大人となると触ることすらできなくなってしまうのか。
昆虫には羽や触角など人間にはないものをもっています。人間とは違った形のものを、異質の動物として捉えて、触ることすらできないのです。
逆に子どものころには、そんな感情がわくどころか、好奇心でいっぱいなのです。怖いとか気持ち悪いというよりも、好奇心で触ってみたいという感情が先に立つのです。
触ったり、いじったりすることができるのです。
また、昆虫を見て触る機会も大人になると減ってしまい、慣れていないのも原因となります。
イナゴなどを取ってきて、佃煮にして食べるところもありますが、昔はおいしく食べられたのに、今は見るだけで食べることすらできません。子どもは、好奇心とともに食べて、おいしいという感情になっているのです。
この例は、国によっても違うことも言えます。
海外ではよく魚やエビの生け造りを食べることができませんが、日本人は平気でおいしく食べることができます。
これは、どうしてでしょうか?
これは海外では、ほとんどは魚を生で食べる習慣がありません。従って環境によって好き嫌いがはっきりしてくるのです。
(写真:活魚・刺身|みずほ庵)
人間はとかく、経験しないもの未知なるものには、怖いというイメージを持ちます。逆に経験を持てば、おいしいと感じて、食べることができるようになるのです。
子どもは、経験が浅いせいか好奇心の方が勝り、何でも挑戦したがる傾向にあります。失敗して初めて考えるのです。
○ファーブルの名言集
なにか困った場面に出くわした場合、
みだりに他人の助けを借りてはいけない。
助けを借りれば、
それは一時的に困難から逃げたに過ぎない。
忍耐と塾考をもって困難に当たれば、
そのたびごとに成長することができる。
1分間の休む暇さえないほどに、働くこと。
これほど幸せなことはない。
働くこと、これこそが生甲斐である。
死は終わりではない。
さらに高貴な生(せい)への入り口である。
私は自分の無知を、そうひどく恥かしがらず、
わからないことについては、
全然私にはわからない、
と白状しよう
(ダーウィンの進化論)法則としては壮大なものであるけれど、事実を前にしては、
空気しか入っていないガラスびんみたいなものだ。
多くを学ぶより創造するほうが優(まさ)る。
創造は人生の根底なり。
あるものの幸福は、
他のものの不幸を踏み台にしている。
○まとめ
・6月4日は「虫の日」です。
・「昆虫記」を書いたファーブルは子どものころから、昆虫がすきだった。
・ファーブルは、「昆虫記」のおかげで「昆虫学」という新しい分野がつくられた。
・「昆虫記」は、全10巻を出版するベストセラーとなった。
・ジャポニカ学習帳の昆虫の写真が、3年間掲載されないことがあった。
・子どものころ昆虫が触れたのに、大人になった触れなくなってしまう。子どもは好奇心が勝り触ることができるのである。
・大人になると、経験が勝り異物な存在として、毛嫌いしてしまうことになる。
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