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歌舞伎の歴史で最初は女性が踊っていた!

歌舞伎(かぶき)は、今では日本固有の演劇(えんげき)で、日本の伝統芸能(でんとうげいのう)の一つされている。





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1965年・重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)に指定され、2009年にもユネスコにおいて無形文化遺産(むけいぶんかいさん)の一覧に、記載(きさい)されている。

歌舞伎の語源(ごげん)の由来(ゆらい)は、派手(はで)な衣装(いしょう)や一風変わった異形(いけい)を好んだり、常軌(じょうき)を逸脱(いつだつ)した行動をとる人たちを、傾(かたむ)いた人たちとされていた。

傾(かたむく)くの古語(こご)にあたる「傾(かぶ)く」の連用形で「かぶき」となったと言われている。

今では、歌舞伎をしているのは男性ですが、初めの歌舞伎は少女だったことは、ご存じでしょうか。

歌舞伎はいったい誰が、いつ始めたのか。

江戸時代には女性も歌舞伎をしていたが、いつの間にか男性だけの歌舞伎になっている。

どうして男性だけの歌舞伎となったのか。

そんな疑問を歴史の中でひも解いていく。

○歌舞伎は出雲の一人の女性から始まった!

その昔、出雲(いずも・今の島根県)にある出雲大社(いずもたいしゃ)で、神に仕(つか)える巫女(みこ)をしていた一人の少女がいた。

その少女の名前は「阿国(おくに)」と言った。

%e5%87%ba%e9%9b%b2%e9%98%bf%e5%9b%bd_wikipedia(絵:出雲阿国_Wikipedia)

阿国は、踊(おど)りがとても上手(じょうず)な娘(こ)で、あるとき出雲大社の修理(しゅうり)でお金が必要になった。

阿国は10人ほどの仲間といっしょに旅にでることになる。

阿国ちたちは旅先(たびさき)で、踊ってはお客からお金を集めていた。

%e9%98%bf%e5%9b%bd%e6%ad%8c%e8%88%9e%e4%bc%8e%e5%9b%b3_kyoto-national-museum(屏風:阿国歌舞伎図_Kyoto National Museum)

いろいろな土地をまわりながら、阿国は踊りの腕前(うでまえ)をどんどん上げていった。

1603年、京の町で阿国が踊る「かぶきおどり」が、評判(ひょうばん)になっていた。

その頃、江戸時代の初め頃、男性の間では派手(はで)な着物を着たり、女性の着物をマントのように羽織(はお)ったりするのが流行(はや)っていた。

そのような男性たちを、町民(ちょうみん)の間では「かぶき者」と呼ばれていた。

阿国は男性の恰好(かっこう)をして、そんな「かぶき者」が遊ぶ様子(ようす)を踊りで表現し、人気を集めていた。

この「かぶき者」が踊る「かぶきおどり」が、今でも続いている「歌舞伎(かぶき)」のはじまりとされ、阿国は歌舞伎を始めた人として、歴史に名を残している。




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○江戸時代には「女歌舞伎」もあった!

今では歌舞伎は男性だけの花形(はながた)となっているが、江戸時代の初めは、歌舞伎は男性も女性も踊っていた。

阿国の踊る「かぶきおどり」が話題(わだい)になると、それをまねた踊りを見せる女性たちが、次々に現れるようになった。

これを「女歌舞伎(おんなかぶき)」と呼ばれていた。

しかし、1629年に男女間(だんじょかん)の生活で、風紀(ふうき)が乱れるということで、女歌舞伎が禁止(きんし)されてしまうのである。

すると今度は少年が踊る「若衆歌舞伎(わかしゅうかぶき)」が始まり、人気となった。

ところが1652年にこれも禁止となり、大人の男性が踊る「野郎歌舞伎(やろうかぶき)」が始まった。

男性だけの歌舞伎であるため、男性が女性の役を演じなければならない。

女性らしく演じる技術が磨(みが)かれ、やがて女方(おんながた)と呼ばれる、女性を専門に演じる男性役者(だんせいやくしゃ)が現れるようになった。

宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)では、その逆で女性が男性を演じるのと同じである。

1700年には、歌舞伎は江戸と上方(今の京・大阪)の両方で、人々に親しまれながら、それぞれに発展していった。

江戸は武士の町であったことから、「荒事(あらごと)」と呼ばれる力強い芸が好まれ、初代・市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が活躍した。

%e5%b8%82%e5%b7%9d%e5%9c%98%e5%8d%81%e9%83%8e-%e5%88%9d%e4%bb%a3-_wikipedia(絵:市川團十郎 (初代) _Wikipedia)

公家(くげ)の町・京や、商人の町・大阪の上方(かみがた)では、「和事(わごと)」と呼ばれる、やわらかく美しい芸を得意(とくい)とした初代・坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)が活躍していた。

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こうして歌舞伎の芸は、代々受け継(つ)がれながら、現在まで発展(はってん)し続けている。

最近では、3代目・市川猿之助(いちかわえんのすけ)によって、歌舞伎界に新しい趣向(しゅこう)が、注目を集めている。

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歌舞伎で、衣装や音楽、照明などを取り入れた「スーパー歌舞伎」が上演されたりしている。

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また海外公演が行われたり、歌舞伎専用の劇場以外(げきじょういがい)の場所でも上演(じょうえん)したりするなど、さまざまな試みも行われている。

一人の少女から始まった「歌舞伎」が、江戸時代には唯一の娯楽(ごらく)として活躍し、現在においても受けつがれる伝統芸能(でんとうげいのう)となっている。

○まとめ

・歌舞伎は、今では日本固有の演劇で、日本の伝統芸能の一つである。

・1965年・重要無形文化財に指定され、2009年にもユネスコにおいて無形文化遺産の一覧に、記載(きさい)されている。

・歌舞伎の語源の由来は、派手な衣装や一風変わった異形を好んで行動をとる人たちを、傾いた人たちとされていた。

・傾くの古語にあたる「傾(かぶ)く」の連用形で「かぶき」となったと言われている。

・歌舞伎は出雲の一人の女性から始まった。

・その少女の名前は「阿国(おくに)」と言う。

・1603年、京の町で阿国が踊る「かぶきおどり」が、評判になっていた。

・阿国は男性の恰好をして、そんな「かぶき者」が遊ぶ様子を踊りで表現し、人気を集めた。

・江戸時代には「女歌舞伎」もあった。

・1629年に男女間の生活で、風紀が乱れるということで、女歌舞伎が禁止されてしまった。

・それから大人の男性が踊る「野郎歌舞伎」が始まった。

・歌舞伎は江戸と上方(今の京・大阪)の両方で、人々に親しまれながら、それぞれに発展していった。




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