相田みつをの名言 愛のポエム!
”つまずいたっていいじゃないか 人間だもの”
あなたはこの詩をご存じでしょうか?
この詩をつくったのは、書家で詩人の「相田みつを」という人物です。
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この言葉の意味するところは、幸せかどうかは自分自身できめること。逆に不幸かどうかも自分自身で決めることになります。
○「相田みつを」の愛のポエム!
「こ」れからも、ずっと一緒に。
「う」んめいの糸で、結ばれた二人。
「き」れない祐美と優しい幸樹さん。
「ひ」ろい地球で二人が出会えたなんて
「ろ」まんなんだから
「み」つめあって支えあって一生一緒に。
この詩は、幸樹さんと祐美さんの二人の結婚を祝して、みつをの詩です。このように結婚式の祝辞として書いた詩は多くあります。
あなたにめぐり逢えて本当によかった。
一人でもいい、心からそう言ってくれる人があれば
美しいものを美しいと思える、
あなたの心が美しい
幸せは、いつも、自分の心で決める。
つまずいたっていいじゃないか。
人間だもの
考えてばかりいると、日が暮れちゃうよ
どんなぐちでも気持ちよく聞いてくれる人
その人はあなたにとって大事な観音さまだ
うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる
あなたの こころが きれいだから なんでもきれいに 見えるんだなあ
○「相田みつを」ってどういう人?
相田みつをは、書道家であり詩人でもあります。
(写真:www.aomori-museum.jp)
栃木県で生まれた18歳のときに、武井哲応(たけいてつおう)というお坊さんと出会い、相田は、仏教の教え受けます。
みつをは、哲応を尊敬し以後50年間座禅を欠かせませんでした。
それから、19歳のときに岩沢渓石(いわさわけいせき)という書道家と出会い、書道を習い始めます。
しかし、その頃太平洋戦争はますます激しくなり、みつをもついに戦争に出兵させられてしまうのです。
みつをの兄二人も、戦争に出兵するも帰らぬ人になってしまいます。
みつをは、書道を学びながら仕事をするようになります。
あるとき、師匠である哲応にどうしたらいいのか、相談するのです。そして、自分の中にある、よくないところに気づき、それを筆で書くことを始めるのです。
その後大学の夜間部で文学を学び、30歳のとき個展を開き、書家として活動を始めるのです。しかし、みつをの独特の作品は、人々になかなか、受け入れられるものではありませんでした。
妻の千江と家族に支えられながら、書家の活動を続けるのです。
そして1984年に、みつをの代表作の一つである「にんげんだもの」が出版されることになります。この作品でみつをは、広く世間に知られることになっていきます。みつをは60歳という年齢になっていました。
みつをの詩は、かんたんな言葉で分かりやすく、読む人の心に響くものでした。
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○「相田みつを」の批評
みつをは、不遇であり、詩が長く顧客に受けいられることは長くなく苦しんだ。
商業的な成功とは裏腹に、文学の分野では作品を評論されることはなかった。当時は詩は難解な文章が、好まれた時代であり、みつをのような、分かりやすい詩は評論家には否定的でした。
またみつをは、わざと下手に書いておもねるような字を、紙に書きつけた。上手に書ける字をわざと下手に書く人には、他の人には警戒したくなるという、厳しい評価もする者もいた。
しかし、みつをは作品に対しては妥協を許さず、たった一文字を書くために何百枚何千枚と紙を使用したり、印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから、印刷済みの何千枚もボツにしたという。
(写真:相田みつを)
○まとめ
・「相田みつを」は、書家であり詩人である。
・みつをは不遇であり、長く顧客に受け入れることはなく、文学者には不評であった。
・みつをの作品は、かんたんな言葉で分かりやすく、読む人の心に響いたものだった。
・代表作の一つである「にんげんだもの」が出版され、広く世間に受けいられることになった。みつを60歳のときであった。
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