携帯音楽の先駆けとなったカセットウォークマン
今では、好きな音楽をいつでも、どこでも聴(き)けて楽しめるようになっています。
その先駆(さきが)けとなったのが、1979年にソニーが発表した携帯音楽(けいたいおんがく)プレイヤー「ウォークマン」だったのです。
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音楽を聴くときは、家の中でレコードか、レコードの音楽を「カセットテープ」に録音し、それを再生(さいせい)する機械(きかい)を使って聴くというのが当時ほとんどでした。。
ウォークマンは、そのカセットテープを再生できる機械だけを、持ち運べるほど小さくしたものだったのです。
そこに、ヘッドフォンをつないで、音楽を再生できるようにしたことで、手軽にいつでも、どこでも音楽を楽しめるようになったのです。
○ウォークマンの誕生秘話!
筆者(ひっしゃ)が記憶(きおく)してウォークマンの本当のはじまりは、カセットテープを開発(かいはつ)している社員の一人が、外側(そのがわ)のケースを含めると、今では比べものにならないほど大きかったのです。
その社員は、中のカセットテープの機械だけを、家に持ち帰って音楽などを楽しんでいた。
ある日、上司にそれを見つかったことから、これは製品化(せいひんか)できるのはないか考えたことから、ウォークマンのきっかけとなったのです。
それから発売のきっかけとなったのは、ソニーの名誉会長(めいよかいちょう)だった、井深大(いぶかまさる)の一言だったそうです。
(写真:井深大_ニュースイッチ)
「飛行機(ひこうき)に乗っているときに、きれいな音で音楽がきけるものをつくってもらえないか」というように、後から話しがつくられていったのです。
そこで、テープ・レコーダーという、カセットテープに音楽を録音(ろくおん)したり、再生したりできる機械をもとにして、持ち運べるほど小さくなるように、社内で改良(かいりょう)が加えられたのです。
こうして出来あがった試作品(しさくひん)を使って聴(き)いてみた井深は、その音質(おんしつ)の良さにびっくりしたと言われている。
(写真:ウォークマン_Wikipedia)
井深はソニーの創業者(そうぎょうしゃ)の一人で、小型ラジオ(トランジスタラジオ)などを開発し、ソニーを成長させた人物だったのです。
井深はこれを製品化するれば、きっと売れるだろうと思ったのです。
そこで、当時の会長でもあり、同じソニーの創業者の一人でもあった盛田昭夫(もりたあきお)に聴かせたのであった。
しかし盛田は、録音もできなく再生して音楽を聴くだけのものなんて、絶対売れないと言うのです。
社内でも、このように反対意見もあったのですが、製品化へと取り組みを続け、ついにウォークマンが誕生したのです。
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○ウォークマン発売当初は売れなかった!
こうして発売されたウォークマンだったのですが、マスコミの反応は芳(かんば)しくなかった。
そこで、人目にふれなければとの考えから宣伝部(せんでんぶ)や営業(えいぎょう)スタッフは、ウォークマンを身につけさせ、街中(まちじゅう)を歩かせたり、山手線を1日ぐるぐる回らせるなどをさせたのです。
さらに影響力(えいきょうりょく)のある、有名人にも製品を提供させるなど、ウォークマンの認知度(にんちど)を高めていった。
こうして広告・宣伝活動が功(こう)を奏(そう)して、発売から1カ月で、3000台ほど売れるようになり、翌月には初回生産3万台をすべて売り上げることができたのです。
(写真:ウォークマン_Seesaa ブログ)
さらに売り上げが続き、今度は供給不足が半年ほど続くほどの、大人気となっていきました。
○まとめ
・1979年にソニーが発表した携帯音楽プレイヤー「ウォークマン」。
・音楽を聴くときは、家の中でレコードか、レコードの音楽を「カセットテープ」に録音し、それを再生する機械を使って聴くというのが当時ほとんどだった。
・ウォークマンは、そのカセットテープを再生できる機械だけを、持ち運べるほど小さくしたものだった。
・発売のきっかけとなったのは、ソニーの名誉会長だった、井深大の一言だった。
・ウォークマン発売当初は売れなかった。
・広告・宣伝活動で、発売から1カ月で、3000台ほど売れるようになり、翌月には初回生産3万台をすべて売り上げることができた。
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