フランスを勝利に導いたジャンヌダルクは17歳の少女だった!
皆さん「ジャンヌダルク」と聞くと、どういうイメージを持たれるでしょうか。
知っていることと言えば、ジャンヌダルクは女性でフランスのために戦ったことぐらいでしょうか。
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そう彼女は、17歳という若さでフランスの英雄としてイギリスと戦い、フランスを勝利に導いた少女がいた。
(肖像画:ja.wikipedia.org)
最期はイギリス軍に捕まり、5月30日に火刑されてしまう。
1337年から1420年続いたフランス(当時フランス国)とイギリス(当時イングランド王国)が、領土をめぐって激しい戦いをしていた。
そもそもの発端となるフランスとイギリスの戦争ですが、フランス国王の娘・カトリーヌとイングランド国王のヘンリー5世が結婚し、その子供である、ヘンリー6世を国王の跡継ぎにするというもの。
しかしフランス国王には、シャルル7世の息子がいた。
条約では、シャルル7世が国王になることできない。
そのためフランスの国王が亡くなると、ヘンリー6世のイングランド軍と、シャルル7世のフランス軍とで戦いが始まった。
これが後に、百年戦争と呼ばれる戦いの始まりとなっていく。
○神の声を聞いた17歳の少女
そんな時代背景の中で、ジャンヌは現在のフランス東部のドンレミ村に住んでいる17歳の少女がいた。
彼女は、「フランス国王シャルル7世を助けイングランドに占領されたフランス領を奪還せよ。」という「神の声」を啓示を受ける。
そして、シノンの町にいたシャルル7世の前に現れ、「私がイングランド軍と戦い、フランスを勝利に導き、あなたを必ず国王に致します。」と言う。
○なぜ、17歳の少女が戦いの場で、信用されたのか?
17歳の少女の言葉に、最初は国王も疑っていてジャンヌの言葉に、耳を傾けることはなかった。
ジャンヌは、他の誰も知らないはずの、シャルル7世の秘密について知っていて、それを言うと国王は、ジャンヌの言葉に耳を傾けるようになった。
「神の声を聞いた少女が現れた!」として、フランス軍の司令官の一人として、戦いに加わることになる。
(写真:自由の女神そしてジャンヌ・ダルク)
わずか9日間で兵士の士気を高めることに成功し、ジャンヌは徐々にその名声を高めることになっていった。
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○英雄になったジャンヌ
ジャンヌとその兵士たちは、勇敢にイングランド軍と戦い、オルレアンからイングランド軍を追い出すことに成功する。
(絵画:ドラクロワ 有名な作品・代表作の解説)
それから次々とイングランド軍を破り、ついにはシャルル7世をフランスの町に連れてくることができたのだ。
ランスの町は、代々フランス国王が王位の位を受け継ぐ式をあげる町で、シャルル7世を正式に国王の座につくことができた。
その後もジャンヌは、パリからイングランド軍を追い出すために戦い続けた。
無事に国王となったシャルル7世は、百年続いたイングランドとの戦いに終止符を打つことができたのだ。
○19歳で火刑に処せられたジャンヌ
シャルル7世を王位につくことに成功し、イングランドとの戦いを終わらせることができた。
しかし、国王はだんだんジャンヌのことを忘れさられていく。
そんな中で、1430年ジャンヌはイングランド軍に捉えられてしまう。
しかし、シャルル7世はジャンヌを助けようとしなかった。
ジャンヌはイングランド軍によって裁判にかけられ、火あぶりの刑に処せられ、亡くなってしまう。
(絵画:www.logsoku.com)
19歳という若さで、亡くなったジャンヌであったが、その後だんだん人々から忘れ去られていく。
○再びジャンヌが注目されることに!
その後、ジャンヌ・ダルクが脚光を浴びるようになったのは、1803年ナポレオンが「ジャンヌ・ダルクはフランスの英雄」と語ったことから、ジャンヌは再び人々の心に甦っていくことになる。
(肖像画:ナポレオン・ボナパルト – GATAG)
ナポレン1世以降、フランスは派閥を問わず、多くの政治家たちからジャンヌを崇敬していると言われている。
(写真:blog.goo.ne.jp)
世界的にも著名な作家、映画監督、作曲家たちがジャンヌを主題とした作品を制作したり、私たちの心に残ることができたのである。
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