柔道の生みの親、嘉納治五郎
皆さんご存じの「柔道」は、日本でつくられた武道(日本の伝統的なな武術)となっている。
「柔道」を武術としてつくったのは、「嘉納治五郎」という人物である。柔道の聖地「講道館」を創設している。
スポンサードリンク
日本の古来からある「柔術」と海外の「レスリング」を組み合わせて、「柔道」という武術をつくった。
ロシアのプーチン大統領も嘉納治五郎を敬愛し、日本でも柔道を公開するなどサービスしている。
昔の映画やドラマとなった「姿三四郎」は、師匠である「矢野正五郎」のモデルとなっている。「姿三四郎」も、嘉納治五郎の弟子であった「西郷四郎」である。
(西郷四郎_出典:講道館)
○「柔術」から「柔道」へと変えた嘉納治五郎
嘉納治五郎(かのうじごろう)は、日本の柔道家、教育者で、講道館柔道の創始者である。
(講道館 – 出典:Wikipedia)
柔道をスポーツして、世界中に広めオリンピックの分野まで広めた人物でもある。「柔道の父」と呼ばれている。
(嘉納治五郎_出典:Twitter)
治五郎は小さいときは体が弱く、そんな自分が嫌で、日本に昔からある「柔術」の修行を行い、体を鍛えていた。
そして1877年に、官立東京開成学校(現在の東京大学)に入学する。
大学に入学してからも「柔術」を続けたいと思っていたが、親に反対されたため、諦めることになる。
大学を卒業してからは、大学の教授や学校の先生などをして、治五郎は教育者として知られるようになっていった。
そして「柔術」から「柔道」として、「柔(やわら)」に「道」としてつくり上げたのである。
(嘉納 治五郎 Kanou Jigoro_出典:月刊秘伝)
「柔道」は、これまであった柔術に「精力善用」と「自他共栄」という、治五郎の精神を取り入れたものである。
「精力善用」は「心と体をうまく使う」という意味で、「自他共栄」は「自分も他人もいっしょによくしていく」という意味になる。
「柔道」は一人ではできないスポーツである。二人で取り組むことで、柔道として成り立つ。だから他人を大切にすることを心がけるという精神である。
治五郎が幼少期に体が弱く、柔術でいつも強い人に負けてばかりいた。しかし、柔道では体だけではなく、強い心を養うことも大切だと考えていた。そうすることで、力が強い者にも負けない武道になると信じていた。
スポンサードリンク
○オリンピック招致にこだわった!
治五郎は、日本のスポーツを広めることにも熱心に取り組んだ人物でもある。
特に当時再び行われることになった近代オリンピックに、日本もぜひ参加したいと考え、そのために尽力した。
まず1909年、IOC(国際オリンピック委員会)の委員になり、そして1912年にストックホルムで行われた第5回大会で、日本も参加を果たした。
このとき治五郎は、選手団の団長して、選手たちと一緒に同行している。
また治五郎は教育にも尽力し、校長としての仕事を続けながら、柔道の精神である「精力善用」と「自他共栄」を校是として、旧制灘中学校(現在の灘中学校・高等学校)をつくることを手伝った。
日本で初めて開催された1964年の東京オリンピックから遡ること28年前の1940年、東京オリンピックの招致に成功していた。
これに尽力したのが、嘉納治五郎であった。
(シンプルに富士山!1940年開催予定_出典:ガジェット通信 GetNews)
しかし太平洋戦争が始まり、日本がオリンピックを開催することができなくなり、「幻の東京オリンピック」となってしまった。
○まとめ
・「柔道」を武術としてつくったのは、「嘉納治五郎」という人物である。
・昔の映画やドラマとなった「姿三四郎」は、師匠である「矢野正五郎」のモデルとなっている。
・柔道をスポーツして、世界中に広めオリンピックの分野まで広めた人物でもある。「柔道の父」と呼ばれている。
スポンサードリンク