大西洋単独無着陸飛行を達成したリンドバーグ!
海の上を飛ぶことが冒険だと言っても、我々にはピンとこない方も多いかも知れない。
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飛行機で海を渡るということは、陸まで着陸できないことになり、当然飛行機が故障しても、降りることができない。
また海の上は気候が変動し、悪天候の中であっても飛行を続けなければならない。まさに命がけの冒険である。
今から100年近く前に、大西洋横断にはじめて成功した人物がいる。その人が「リンドバーグ」である。
リンドバーグが言った、「翼よ、あれがパリの灯だ」という名言は有名である。
○チャールズ・リンドバーグはどんな人なの?
チャールズ・リンドバーグは、アメリカの飛行家で、プロペラ機でニューヨーク~パリ間を飛行し、1927年に大西洋単独無着陸飛行を初めて成功した人物である。
(完璧な好天を待つな_Withnews)
1931年には北大西洋横断飛行にも成功している。
彼は、1902年にスウェーデン移民の息子として、ミシンガン州デトロイトで生まれる。
これはライト兄弟が初めてエンジン付きの飛行機で飛ぶことに成功する前の年に生まれている。
彼は幼少の頃から機械への関心があり、彼が21歳のときには機械工学を離れ、ネブラス航空でパイロットと整備士の訓練に参加している。
(チャールズ・リンドバーグ)
あるとき、ニューヨークでホテルを経営するレイモンド・オルティーグという人物が、こんなことを言い出した。
「アメリカのニューヨークと、フランスのパリの間を一度も着陸しないで飛んだ人に賞金を出そう」と。
何人もの飛行士が、この「オルティーグ賞」に挑戦したが、誰も成功しないばかりか、飛行で命を落とす飛行士もいた。
当時飛行機はやっと実用化されたばかりで、長い距離を飛ぶことは、まだ危険なことだった。
しかしチャールズは、この飛行に挑戦することになる。
○33時間の過酷な飛行!
チャールズはまず軽い飛行機をつくることから始めた。
重い飛行機は燃料を消費するばかりでなく、着陸のとき危険だと考えていた。
飛行機は一番前にエンジンとプロペラがあり、さらに燃料タンクがエンジンのすぐ後ろに置かれている。
そのため操縦席からは前が全く見えなくなってしまう。そこで横の窓から首を出すなどして、前を見なくてはならかった。
当時の飛行機は、それが当たり前とされていた。
1927年5月20日の早朝、チャールズの飛行機、「スピリット・オブ・セントルイス号」は、ニューヨークのルーズベルト飛行場の滑走路を走りだした。
ところが、燃料の重さと雨にぬれた滑走路のため、なかなかスピードが上がらなかった。
セントルイス号は、やっと浮き上がり、滑走路の向こう側にかかっている電話線の上をかすめるように、飛び立った。
チャールズは、一人でこのセントルイス号に乗っていた。
パリまでの5,800キロメートルほどを、一人で飛び続けなければならない。休むことも眠ることもできない過酷な冒険のはじまりであった。
上空は寒さで凍えそうで、霧が出ると、周りは見えなくなる。
猛烈な眠気と疲れの中、チャールズは必死で飛び続けた。
やっとパリのル・ブルジェ空港に到着したのは、翌日の夜だった。
ニューヨークから離陸してから、33時間29分30秒もの時間が経っていた。飛行距離は5,810キロメートルだった。
空港には、冒険を成功させた偉大な飛行士をひと目見ようと、10万人もの人が押し寄せていた。
空港に入りきらなかった人たちも含めると、延べ75万人とも100万人とも言われている。
(チャールズ・リンドバーグ_スマホ壁紙)
チャールズは操縦席から引張り出されると、30分近く胴上げされたと言う。
これで彼は「オルティーグ賞」の賞金25,000ドルを手に入れ、さらに世界的な名声を得たのである。
(チャールズ ・ リンドバーグ_123RF)
チャールズの偉業は、後に小説にされたり映画になるなど、後世に語り継がれることになった。
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○リンドバーグ愛児誘拐事件!
リンドバーグが北大西洋横断飛行にも成功した翌年、彼の愛児が誘拐される事件が起こった。
その結末は悲惨なもので、誘拐後に殺されてしまった。
誘拐されたのはチャールズの長男(当時1歳8カ月)で、ニュージャージー州の自宅から誘拐された。
現場には身代金5万ドルを要求する手紙が置かれていた。
10週間に及ぶ探索と誘拐犯との身代金の交渉をしたが、誘拐から2カ月後の5月12日自宅付近で長男が死亡しているのを発見された。
そんな栄光と悲しい出来事を得て、我々に元気させてくれる。
○まとめ
・今から100年近く前に、大西洋横断にはじめて成功した人物が、リンドバーグ」である。
・チャールズ・リンドバーグは、プロペラ機でニューヨーク~パリ間を飛行し、1927年に大西洋単独無着陸飛行を初めて成功した
・1931年には北大西洋横断飛行にも成功している。
・ニューヨークでホテルを経営するレイモンド・オルティーグという人物が、「アメリカのニューヨークと、フランスのパリの間を一度も着陸しないで飛んだ人に賞金を出そう」と言いだした。
・チャールズは、この飛行に挑戦することになる。
・チャールズは、33時間29分30秒もの時間で、飛行距離は5,810キロメートルで飛行に成功した。
・リンドバーグが北大西洋横断飛行にも成功した翌年、彼の愛児が誘拐される事件が起こっている。
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