織田信長を兄に持つ「お市の方」戦国時代を生きた強く美しく生きた女性!
「お市の方(おいちのかた)」は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、強く美しく生きた女性で、織田信長の妹であり、信長とは13歳離れている。
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ここで疑問なのは、どうして「お市の方」と呼ぶようになったのでうしょうか。
一説によると「~の方」は、江戸時代以前の貴人の妻になった女性につけられていたようです。
後に姫でも「~の方」と呼ぶようになったと言われている。
また織田信長の身長は170cmで、「お市はの方」は165cmだったという。当時としては、長身であったと言われている。
お市は、近江(おうみ、今の滋賀県)の戦国大名であった浅井長政(あさいながまさ)の正室(せいしつ)であった。
(浅井長政_れきし上の人物.com)
織田信長と同盟を結ぶため浅井と戦略結婚(せんりゃくけっこん)させられている。
その後浅井は、一度は信長と同盟をむすぶが、決裂し織田軍と戦いに敗れて自害に追いやられている。
お市は、その後織田家の重臣の柴田勝家(しばたかついえ)の後妻(ごさい)となった。
(柴田勝家_NECネクサソリューションズ)
お市の方の子には、茶々(ちゃちゃ、淀殿)(豊臣秀吉の側室)や、江(こう)(徳川秀忠継室)がいる。
孫にあたる「徳川家光」と続いき、徳川和子(江の娘)は、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮となり、華族へとつながっていく。
そんなお市の方とは、どんな人物だったのでしょうか。
○兄・信長、夫・長政の狭間でで揺れ動く「お市」!
お市の方は、尾張(おわり、今の愛知県北西部)をおさめていた、戦国武将・織田信秀(おだのぶひで)の娘として生まれている。
お市はとても頭がよく美人だったと伝えられ、兄・織田信長とも、仲が良かったと言われている。
しかし、戦国時代であったので、信長は近江国(おうみのくに、今の滋賀県)の浅井長政(あさいながまさ)と、お市は戦略結婚(せんりゃくけっこん)させられてしまう。
お市と長政の間には三人の娘(茶々、初、江)をもうけ、とても仲がよかった。
そんなとき、越前(えちぜん、今の福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ)と信長で、戦が始まった。
長政は、朝倉と昔ながらの友人であったので、長政はどちらに味方して良いのか迷った。
長政は昔の友人である朝倉に味方し、信長を裏切ることになる。
そんな時、お市は信長に、夫・長政が裏切ったことを伝えた。
こうして信長は二人の武将と戦うことなく、戦から逃(のが)れることができた。
その後信長は、あらためて長政、朝倉連合と戦い、打ちや破ったとされている。破れた長政は自害に追いやられた。
お市は、三人の娘とともに、信長のもとに帰ることになった。
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○戦乱の時代に生きた「お市の方」は自ら命を落とすことに!
やがて本能寺の変で、兄・信長が命を落とすことになる。
その後お市は、信長の家臣であった「柴田勝家(しばたかついえ)」と再婚する。
今度は、勝家と羽柴秀吉(はしばひでよし、後の豊臣秀吉)との間で、争いが起こった。
勝家は、秀吉に敗れてしまう。
このときお市は、勝家によって秀吉のもとに送り出そうしたが、お市は三人の娘だけを送り出し、自らの命を絶った。
このときお市の三人娘たちは、「浅井三姉妹(あさいさんしまい)」として、時代を動かす大きく活躍していく。
(浅井三姉妹_Wikipedia)
戦国時代で戦う男たちの狭間(はざま)で、戦った強き女性であったお市であったが、女性も戦った時代でもあった。
○まとめ
・「お市の方」は、戦国時代から安土桃山時代にかけて、強く美しく生きた女性で、織田信長の妹である。
・「お市はの方」は165cmで、当時としては長身であったと言われている。
・お市は、近江の戦国大名であった浅井長政の正室(せいしつ)であった。
・その子には茶々(ちゃちゃ、淀殿)(豊臣秀吉の側室)や、江(こう)(徳川秀忠継室)がいる。
・お市の三人娘たちは、「浅井三姉妹」として、時代を動かす大きく活躍していく。
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