ツタンカーメンの墓を発掘したのは誰なの?
世界的な大発見とされている、黄金のマスクで有名な「ツタンカーメン」ですが、いったい誰が発見したのかご存じでしょうか。
ツタンカーメン王の墓を発見したのは、エジプトの考古学者である「ハワード・カーター(1874-1939)」という人物である。
ツタンカーメンの黄金のマスクは有名でも、誰が発見したのかはあまり有名ではないようだ。
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今から何千年も昔のエジプトでは、人は死後において生き返られると信じられていた。
そのため王が亡くなると、体が腐(くさ)らないように全ての臓器(ぞうき)を取り除いた後に、防腐剤(ぼうふざい)を施(ほどこ)し、その後で身体中、包帯(ほうたい)でぐるぐる巻きにして「ミイラ」としていたのである。
しかも死後の世界でも不自由なく暮らせるように、身のまわりのものや宝飾品(ほうしょくひん)などを一緒に埋葬(まいそう)していたのです。
1800年代に入ると、ヨーロッパの人たちがエジプトの王の墓を探すようになったいった。
○ハワード・カーターとは、どんな人?
カーターはイギリスのケンジントンに生まれ、エジプトの考古学者であり、ツタンカーメン王の墓を発見したことで有名である。
(写真:ハワード・カーター_ja.wikipedia.org)
カーターは、エジプト考古学の大家であるフリンダーズ・ピートリー爵の下で学んだ。
カーターは17歳のときからエジプトで考古学者として、発掘活動をしている。
そして1915年、カーターに大きなチャンスが訪れようとしていた。
大富豪で貴族であるカーナヴォン卿がスポンサーとなり、エジプトの発掘をするパートナーとして選ばれた。
(写真:blog.goo.ne.jp)
1916年からカーナヴォン卿の助手として、エジプト王家の発掘調査に着手するようになる。
カーターたちは、古代エジプトにあった古代都市の遺跡がある「テーベ」があった「王家の墓」を発掘調査をすることになった。
それまでもたくさんの王の墓が見つからなかった場所でもあったが、カーターはそこに何かがあると信じていた。
カーターは、9歳で王となり、わずか19歳の若さで亡くなった「ツタンカーメン王」の墓があるだろうと考えていた。
ついに、1922年に助手として契約が切れる年に、世紀の大発見とされている「ツタンカーメン王の墓」を発見することになる。
3000年以上の歴史を経て、ほとんど盗掘(とうくつ)を受けなかったことで、黄金のマスクをはじめとする、数々の副葬品(ふくそひん)は、ほぼ完全な形で発掘されている。
(写真:dailynewsagency.com)
その発掘は世界に大きな衝撃を与えるものであった。
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○ツタンカーメンとは誰なの?
若くして亡くなったツタンカーメン王(トゥト・アンク・アメン)は、紀元前14世紀の古代エジプトの第18王朝の王となっている。
父アクエンアテンが亡くなって、若くして王となったトゥト・アンク・アメンは、即位するとアメン・ラーを信仰した。
(写真:www.youtube.com)
在位中、王妃アンケセナーメンと結婚し、夫婦仲はとても良かったされている。
(写真:ツタンカーメン王墓からの出土品 宝飾品)
トゥト・アンク・アメンは家臣に毒殺されたのではないかという説もあったが、その後のDNA鑑定によると、実際は馬か何かに転落して足の骨を折っていることが分かっている。
骨折によってマラリアにかかり、亡くなったとする説が高い。
その後の調査で、「ケーラー病」にかかり、19歳という若さで亡くなったとされているようだ。
彼が即位中は、ヌビアの反乱を鎮圧(ちんあつ)したり、ヒッタイトとの戦いに勝利するなど、王としての職務を果たしていた。
○「ファラオの呪い」って本当?
発掘のスポンサーであるカーナヴォン卿が、墓の公開直後に急死したことに始まり、その後発掘に関係した人たちが、次々と不遇(ふぐう)の死を遂(と)げている。
そのことから、関係者の間では「ファラオの呪い」という伝説が高まっていった。
実際には、発掘に携(たずさ)わった人たちは、発掘から随分(ずいぶん)経(た)って亡くなっている。
またカーター自身も64歳で亡くなるまで元気に過ごしている。
当時ツタンカーメン王が暗殺されたことを裏付ける説として、注目されていた。
当時いくつかのミイラは発掘後につけられた傷が多く、20世紀前半の発掘に携わった人たちが、文化遺産を大切にしない風潮を戒めるものであった。
しかし、この発掘を契機(けいき)に、ツタンカーメン王時代の暮らし方などが分かり、古代エジプト文明の優れた文化についての研究は、より進むことになった。
○まとめ
・ツタンカーメン王の墓を発見したのは、「ハワード・カーター」という人物である。
・何千年も昔のエジプトでは、人は死後において生き返られると信じられていた。
・カーターは17歳のときからエジプトで考古学者として、発掘活動をしている。
・1915年カーターは、カーナヴォン卿がスポンサーとなり、エジプト王家の発掘調査に着手する。
・1922年に、世紀の大発見とされている「ツタンカーメン王の墓」を発見する。
・若くして亡くなったツタンカーメン王(トゥト・アンク・アメン)である。
・王妃アンケセナーメンと結婚し、夫婦仲はとても良かった。
・トゥト・アンク・アメンは、骨折によってマラリアにかかり、亡くなったとする説が高い。
・関係者の間では「ファラオの呪い」という伝説が高まっていった。
・20世紀前半の発掘に携わった人たちが、文化遺産を大切にしない風潮を戒めるものであった。
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