「クレオパトラ」の鼻が低かったら歴史は変わっていたとはどんな意味なの?
クレオパトラと言うと、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた」と言葉が特に有名です。
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アントニウスは、アレキサンドリアで暮らしローマへの帰還の気配を見せない彼に、ローマ市民が失望し、オクタヴィアヌスを初代皇帝に支持した。
しかし結果的に、オクタヴィアヌスは破れてしまう。
なぜ、ローマは古代エジプトのクレオパトラに翻弄されてしまったのか。
その事実として、歴史はどのように変わったのか。
○クレオパトラとはどんな人だったの?
クレオパトラは、紀元前69年から紀元前30年に、古代エジプトのプトレマイオス朝(ちょう)最後の、ファラオ(君主の称号)とされている。
現在、一般的に知られているのはクレオパトラは「クレオパトラ7世」になる。
(写真:クレオパトラ_東京国立博物館)
クレオパトラの父はプトレマイオス12世、母はクレオパトラ5世である。
クレオパトラの名は、ギリシャ語で「父の栄光」を意味するものとして、歴代を通してクレオパトラと言う名となっている。
クレオパトラ7世(以降:クレオパトラ)は、「絶世(ぜっせい)の美女」として知られ、男を魅了(みりょう)し、小鳥のような美しい声であったとされている。
兄弟は、ベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世と14世の2人の弟がいる。
クレオパトラの肖像(しょうぞう)は、アントニウスが発行(はっこう)したとされる、硬貨(こうか)に横顔が残されているだけである。
(写真:クレオパトラの古代コイン)
本当にこれだけで、「クレオパトラ」は絶世の美女として、知られていたのか。
この美女であるという評価は、妹のアルシノエ4世の復元図から姉であるクレオパトラも、美しかったのではないかという説がある。
(アルシノエ4世の復元像_beaubeau top)
またカエサルやアントニウスが、クレオパトラに翻弄(ほんろう)されたことから、美しい美貌(びぼう)を持った女性であったとされているようだ。
○ローマ皇帝・カエサルとの出会い
エジプトのツタンカーメン王がいた時代より1000年後、エジプトはプトレマイオス朝の時代に入っていた。
プトレマイオス朝はおよそ3000年間続き、最後はローマによって、滅ぼされてしまう。
その最後のエジプト女王が「クレオパトラ」と言うことになる。
クレオパトラは、「世界3大美女」の一人とされている。
(世界3大美女_アンチエイジングな毎日 )
紀元前48年、敵を追って首都アレクサンドリアにきた、当時・ローマ軍人であるカエサルがいた。
(カエサル_Change Our World )
そこへ、大きな絨毯(じゅうたん)がカエサルのもとに、届けられた。
それを開けるとなんと、絨毯の中からなんとも美しい女性が出てきた。
その女性は「私はエジプト女王のクレオパトラです。警備(けいび)が厳しく、こうでもしないと、中に入れてもらえませんでした。」と、びっくりしているカエサルの前で、クレオパトラはこう言った。
(クレオパトラ7世_Wikipedia)
クレオパトラは、弟のプトレマイオス13世と、エジプト王国(おうこく)を治(おさ)めていたが、弟と仲が悪く、追い出されてしまったため、カエサルの力を借りようと会いにきたのだった。
カエサルは、美しく頭のよいクレオパトラを一瞬で好きになり、望み通りプトレマイオス13世を倒して、エジプト王に返り咲いた。
クレオパトラはカエサルと愛し合うようになり、カエサリオンという男の子を授かったのである。
クレオパトラは親子で、カエサルに連れられ、しばらくローマで暮らしていた。
しかしそんな幸せは長くは続かなく、カエサルが暗殺される。
クレオパトラは、悲しみのうちにエジプトに戻ることになった。
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○クレオパトラはエジプト最後の女王
カエサルが死んだ後、ローマで権力(けんりょく)を握ったのが、アントニウスとオクタヴィアヌスであった。
(オクタビアヌス_コトバンク)
エジプトの宝を目当てに、アントニウスはクレオパトラに近づいた。
(アントニウス_www.bibalex.jp)
やがて美しいクレオパトラに夢中になり、アントニウスは結婚を申し込むのであった。
エジプトを守るため、ローマ帝国の助けが欲しかったクレオパトラは、都合のよい話しだった。
しかし、彼にはローマに妻がいて、しかもその妻はオクタヴィアヌスの姉だったのです。
ここで彼の結婚の申し出を受け入れれば、ローマを敵にまわすことになりかねない。
しかし、クレオパトラはアントニウスの結婚の申し入れを受けれてしまうのである。
これに怒ったオクタヴィアヌスは、エジプト軍を倒し、アントニウスの軍を打ち破った。
そのとき、クレオパトラが自殺したという間違った情報が流れ、アントニウスは悲しみのうちに、自殺していまう。
クレオパトラは今度は、オクタヴィアヌスを何とか味方につけようとするが、最期は毒ヘビを胸に噛ませ自殺してしまったのです。
(ホビコム)
こうして3000年間続いたプトレマイオス朝は滅び、エジプトはローマに支配されることになったのです。
フランスの哲学者のパスカルは、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史が変わっていたかも知れない」という言葉を残している。
(パスカル_知の快楽)
クレオパトラの鼻というのは比喩で、もしカエサルやアントニウスがクレオパトラを好きになっていなかったら、エジプトがローマに支配され滅ぶこともなかった。ということがうかがえる。
このようにクレオパトラは、歴史に大きな影響を与えた美女だったのです。
(kleopatra8)
○まとめ
・クレオパトラと言うと、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた」と言葉が特に有名。
・クレオパトラは、古代エジプトのプトレマイオス朝最後の、ファラオとされている。
・一般的に知られているのはクレオパトラは「クレオパトラ7世」になる。
・クレオパトラの名は、ギリシャ語で「父の栄光」を意味するものとして、歴代を通してクレオパトラと言う名となっている。
・クレオパトラは、「絶世の美女」として知られ、男を魅了し、小鳥のような美しい声であったとされている。
・クレオパトラの肖像は、アントニウスが発行したとされる、硬貨(こうか)に横顔が残されているだけである。
・クレオパトラは、「世界3大美女」の一人とされている。
・カエサルは、美しく頭のよいクレオパトラを一瞬で好きになり、望み通りプトレマイオス13世を倒して、エジプト王に返り咲いた。
・クレオパトラはカエサルと愛し合うようになり、カエサリオンという男の子を授かっている。
・そんな幸せは長くは続かなく、カエサルが暗殺される。
・エジプトの宝を目当てに、アントニウスはクレオパトラに近づいた。
・アントニウスはクレオパトラに夢中になり、結婚を申し込むのであった。
・彼にはローマに妻がいて、しかもその妻はオクタヴィアヌスの姉だったのです。
・これに怒ったオクタヴィアヌスは、エジプト軍を倒し、アントニウスの軍を打ち破った。
・こうして3000年間続いたプトレマイオス朝は滅び、エジプトはローマに支配されることになった。
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