日本が誇る「世界ホームラン王」記録に残る王貞治!
日本プロ野球界のホームラン王というと、一本足打法で有名な「王貞治」ではないでしょうか。
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レギュラーシーズン通算本塁打(ホームラン)は868本を記録し、巨人のV9に貢献し、初めて国民栄誉賞を受賞している。2010年には文化功労章者として表彰されている。
この通算本塁打(ホームラン)の記録は、世界記録となっており、日本人で唯一世界の記録として残っている。
巨人では長嶋茂雄もいて、無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍した。
王貞治が「記録」に残る人物であるなら、長嶋茂雄は「記憶」に残る人物と言われている。
○師匠である荒川コーチとの出会い!
王貞治(おう さだはる)は、日本で生まれ。中華民国の国籍を持ち、世界ホームラン王として知られ、巨人と福岡ソフトバンクホークスの監督でもあった。
巨人の一時代をつくり、V9(9回連続優勝)の貢献者でもある。
1954年の秋、毎日オリオンズ(今の千葉ロッテマリーンズ)の選手であった荒川博(あらかわひろし)が、犬の散歩をしながら公園を歩いていた。
(荒川博 _出典:YouTube)
すると公園で野球をやっている野球場から、元気な声が聞こえてきた。
荒川は、しばらくその試合を見ていくことにした。そこで、一人の少年に目がとまった。その少年は、左手で投げているのに、右打席で打っていたので、荒川は不思議に思った。
左で投げていれば、当然左打席で打つことは当たり前だったからである。
「左で投げているのに、なぜ右で打っているのか?」荒川には不思議であった。
荒川は、その少年に「野球は左利きなら、左で打った方がいいよ。」と言った。少年は素直に「はい!」と返事をした。
そして次の打席では、左打席に立ち、特大の二塁打を打った。
これは、後に「世界のホームラン王」となる野球選手、王貞治が中学2年のときの出来事だった。
また、このときの荒川との出会いは、王ならではの打ち方「一本足打法」を教えた、有名な打撃コーチとなった。
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○ホームランの世界記録を残す!
王はそれから実力をつけ、高校野球の名門、早稲田実業高校に進学する。
早稲田実業は、公園で出会った荒川の母校でもあり、王は早稲田実業でエースでピッチャーとして活躍していた。
甲子園には4回出場し、優勝も1回経験している。
高校を卒業した王は、東京読売巨人軍(ジャイアンツ)に入団する。
そこで王はピッチャーからバッターに転向したが、初めはなかなか成績をふるわなかった。
しかし入団4年目に荒川コーチと再び出会い、ついにピッチャーの投球に合わせて、前足を高く上げてバットを振る「一本足打法」を身に付けた。
(マイヒーロー・王貞治_出典:blogs.yahoo.co.jp)
それから、世界の歴史に残る名バッターとして活躍する。
○長嶋茂雄とともに「ON時代」をつくる!
王は長嶋茂雄とともに、巨人軍のV9に貢献し、「ON時代」と呼ばれ、ジャイアンツの黄金時代をつくった。
そして引退するまで22年間で、868本のホームランを打つという、偉大な世界記録を残した。
その頃の総理大臣・福田赳夫(ふくだたけお)は、王の偉大な世界記録に対して、国民栄誉賞を贈った。
王は選手引退後も、ジャイアンツや福岡ソフトバンクホークスの監督などを務め、第一回ワールド・ベースボール。クラシック(WBC)では、日本チームを率いて、優勝に導くなど、監督しても偉大な記録を残している。
(王貞治の軌跡_出典:毎日新聞)
王貞治の名は、日本はもちろん世界の野球界にとって偉大な人物として、これからも語り継がれていくことでしょう。
○まとめ
・日本プロ野球界のホームラン王というと、一本足打法で有名な王貞治。
・通算本塁打(ホームラン)は868本を記録。
・師匠である荒川コーチとの出会いがあり、一本足打法が生まれた。
・長嶋茂雄とともに「ON時代」をつくった。
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