裸の大将で知られる日本のゴッホと言われた山下清!
フランスに天才画家として知られている、印象派の「ゴッホ」という人物がいた。そして日本にも「日本のゴッホ」と呼ばれる人物がいた。
それが「裸の大将」として映画や舞台、ドラマでも放映された、「山下 清」である。
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清は、大きなリュックサックで、大きな おにぎりを食べて、日本中を放浪したことで知られている。
○山下清ってどんな人だったの?
山下清(やました きよし)は、大正時代に、日本の画家として、日本中を放浪して、彼はいくつもの有名な作品をつくっている。
(山下清_出典:佐川美術館)
彼は東京の浅草で生まれ、3歳のときに重い消化不良をおこし、命の危険に陥った。
そのとき、命は取り留めたものの、軽い言語障害と知的障害の後遺症を患ってしまう。
父は彼が10歳のときに、脳出血で他界し、母はそのとき再婚をしている。
その頃は生活は困窮し、母子家庭のため、社会福祉施設に転居している。この頃、母の旧姓である山下を名乗るようになった。
○はり絵との出会い
学校での勉強についていくことができなくなったため、山下が12歳のとき、千葉の八幡学園(やわたがくえん)に入学する。
学園では「ちぎり紙細工」という、紙をちぎってつくる「はり絵(ちぎり絵)」を学んだ。
もともと、ゆいつ絵を描くのが好きだった彼は、はり絵に夢中になって作品をつくるようになっていった。
1937年、学園の生徒たちの作品展が早稲田大学で開かれた。
そこで清の作品が評価され、全国各地で展覧会が開かれるようになった。一流の画家たちも彼の作品を高く評価した。
そして彼は14歳から15歳の頃、「花火」や「虫の集まり」、「遠足」などの優れた作品を次々につくっていった。
(出典:kitamahokif.jugem.jp)
1941年、太平洋戦争がはじまり、清は戦争へ行くのを恐れ、18歳で、八幡学園を抜け出す。
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○山下清の放浪生活が始まる!
21歳のときに、食堂で手伝いをしていたところ、八幡学園の職員に見つかり、無理やり徴兵検査(ちょうへいけんさ)を受けさせられた。
(山下清 – Wikipedia)
しかし、清は知的障害のため兵役を免れることになる。
この記録は「放浪日記」にまとめられている。
清は、気の向くまま放浪して、行く先々で働きながら暮らし、そして、ふらっと学園や家に帰り、また放浪する生活を繰り返していた。
旅先で、絵やはり絵を描くことはあまりなく、学園に戻ってから風景を思い出しながら作品にしていった。
清は並はずれた記憶力の持ち主だった。
日記に毎日の出来事を書くのではなく、彼は学園や家に戻ってから放浪した日記をまとめて書くいていた。
相当の記憶力であったことが想像される。
彼の書いた日記をもとに「放浪日記」として、映画や舞台、テレビなどで放映されることになる。
(山下清の日記_出典:livedoor Blog)
○日本のゴッホと呼ばれた!山下清
戦後1954年、日本でゴッホの展覧会が行われた。
※URL
清の「はり絵」とゴッホの絵が似ているということで、清は「日本のゴッホ」と呼ばれ、彼の作品は注目を集めることになった。
(出典:www.pinterest.com)
翌年に、初めて山下清の画集を出版することになる。
「山下清画集」と「放浪日記」が出品された他に、展覧会が全国で開かれ、合わせて500万人もの人々が訪れ、ちょっとした「清ブーム」がおこった。
1961年にヨーロッパ旅行に出かけ、ヨーロッパの町並みを題材に、50点以上の作品を描き上げている。
(山下 清 画_出典:niceattack.xyz)
清は1971年、49歳のときに亡くなってしまうが、その作品や生き方は、多くの人に感動を与えている。
その後、清をモデルとした映画や舞台、テレビドラマで知られる「裸の大将」という題名で、放映されることになった。
人々に愛された画家の一人であったと言える。
○まとめ
・「裸の大将」として映画や舞台、ドラマでも放映された、「山下 清」という画家がいた。
山下清(やました きよし)は、大正時代に、日本の画家として、日本中を放浪して、彼はいくつもの有名な作品をつくっている。
・彼は、3歳のときに重い消化不良をおこし命の危険に陥り、軽い言語障害と知的障害の後遺症を患ってしまう。
・彼は14歳から15歳の頃、「花火」や「虫の集まり」、「遠足」などの優れた作品を次々につくっていった。
・太平洋戦争がはじまり、清は戦争へ行くのを恐れ、18歳で、八幡学園を抜け出し、放浪生活を始めた。
・清は並はずれた記憶力の持ち主だった。
・日記に毎日の出来事を書くのではなく、彼は学園や家に戻ってから放浪した日記をまとめて書くいていた。
・「山下清画集」と「放浪日記」が出品された他に、展覧会が全国で開かれ、合わせて500万人もの人々が訪れた。
・人々に愛された画家の一人であった。
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